小説

『ジャック・アマノ』中西楽峰(『天邪鬼伝説』(広島))

 「なんだか聞いたことあるような話ですね。それはそうと、大工の親方から海から見た陸の様子を写してきてほしいと言われていますよ」
 「そうじゃったの。天野殿、赤の帳簿をとってくださらんか」
 俺は迷ったが、二冊あった帳簿の片方を差し出した。
 「どうぞ」
 「いやいや、緑ではなく赤の方ですぞ」
 「すみません。こっちですね」
 ジャックがこちらをじっと凝視していたのに俺は気付かなかった。

道空様を屋敷に送り届けると、ジャックは庭に出て言った。
「おまえ、色盲だな」
「…はあ。」
俺には赤緑色覚障害がある。だから色を間違えることがある。遺伝だそうだが、ついでに親指も異様に短い。
「それに、おまえ親指もいやに短いな。まむし指ってやつだ」
ジャックは立ち止り、俺の返事を待たずに言った。
「決めた。俺は今後、湯蓋姓を捨てて生きていく」
「は?なにをいきなり」
俺が絶句していると、ジャックはニッと笑った。
「親父の金全部使い果たした挙句死んだら離島に埋める息子など、迷惑な話だろうからな。家督は兄上が継ぐことだし、俺は今後、天野を名乗ることにする。そう、たった今から俺はジャック・アマノだ」
そういいながらジャックは親指を俺に向かって立てて見せた。親指が極端に短かった。短指症。俺と同じだ。
「ジャック・アマノ…」
「それにな、実はおれも色盲なんだ…なあ。おまえのご先祖様ってのは、ずいぶんアクの強い方だったんだろうな」
「塩田の方は心配するな。必ず成功させる。必ずだ」

どこからともなく社会科の斎藤先生の読経がBGMのように聞こえ始める。
…こうして、五日市港に塩田を築いて人々の尊敬を集めていた人物がいました。この人の息子がダメ息子で、いつも人の言うことと逆のことをしていました。これはこのあたりでは有名な伝説になってるんだけど、知っている人はいるかな…では天野君。

俺は椅子を蹴り飛ばして立ち上がった。眠たそうだったクラスのみんなが跳ね起きた俺をびびった顔で見ている。
俺は天を仰いだ。
「アマノ・ジャック…!!」
「…はい。天邪鬼ね」
腰の引けた斎藤がメガネのブリッジを押し上げた。
5時限目の授業終了の鐘が鳴り響いていた。

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