小説

『おそろしい人』斉藤高谷(『五重塔』(東京))

 嫌な役目を引き受けてしまった、と心の底から思った。
 ホワイトボードにペンを走らせる度、なにか自分が悪いことをしている気がしてならなかった。
 ボードには横並びで〈A〉〈B〉と書かれていた。一票ずつ開票される毎に、その下に横や縦の線――五票で一つの〈正〉を書いていくのがわたしの役目だった。
 結果は圧倒的だった。 Bの下には、〈正〉の字が二つ並んでいた。Aと書かれた下に〈正〉はなく、〈丁〉の字があるだけだった。
 開票が終わっても、しばらく沈黙が続いていた。ただ、誰かがノートパソコンを打つパチパチという音だけが会議室に響いていた。議事録を打つ音でないことは確信が持てた。記録係はわたしだったからだ。
 椅子を引く音がして、源さんが立ち上がった。
「ありがとう、二人とも」
 源さんは開票に当たったわたしともう一人に微笑みかけてきた。それから彼は集まったメンバーたちに向かって言った。
「これが皆の総意だ。俺も異論はない。たぶん薄々気付いてたとは思うけど、Aは俺で、Bは十村の脚本だ」
 最後通牒を突きつけられたような、重い空気が室内に満ちた。
「たしかに素晴らしい出来だった。時間を忘れて読んでしまったよ。今年の出品作はこれ以外には考えられない。コンクールに向けて力を合わせ、全力で取り組もう。絶対に良い映画が出来るはずだ。十村、監督として何か一言」
 源さんの視線の先には、ノートパソコンにのめり込むように向かっている十村さんがいた。断続的に聞こえていたパチパチという音の出所はそこだった。
「十村?」
 源さんがもう一度呼び掛けると、パチパチは止んだ。それから死にかけの猛牛が上げる悲鳴のような音で椅子が引かれ、十村さんが背中を丸めたままゆらりと立ち上がった。
「まずは衣装合わせから始めます。該当者は明朝九時に部室に来てください。時間に遅れないでください」

1 2 3 4 5 6 7