小説

『恋の名残り』香久山ゆみ(『曽根崎心中』(大阪))

 恋がしたい。
 すべてを捨てても惜しくないと思えるほどの、身を焦がすような、本気の恋を。

 前に付き合っていた男はろくでもない奴だった。
 私のことを愛していないくせに、私には愛することを求めた。合鍵を渡し、留守の間に私が掃除や洗濯、料理など甲斐甲斐しく世話するのをまるで当たり前のことみたいに思っていた。デートにしたって何にしたって、自分本位の要求ばかり押し付けて、私の気持ちにはまるで無頓着だった。そのくせ口癖は「愛してる」で、おざなりにその言葉を投げ掛けられるたびに軽んじられていることを痛感した。
 それでもこちらから別れを切り出すこともなく、ずるずる関係を続けていた。
 そんな相談を親友にしていた。その親友が別れるきっかけとなった。親友と彼の浮気現場に遭遇したのだ。彼は私には見せないような熱情を彼女にぶつけていて、私はいっそう惨めだった。
 恋も親友も失った。
 孤独。けれど、それよりも自分を打ちのめしたのは、自身がさほどのダメージを受けていないということだった。あれだけ尽くしたにも関わらず、結局またこの程度の執着しか持つことができなかった。
 ああ恋がしたい。一生に一度でいい。我が身も顧みぬほどの燃える恋をしたい。

 徳永さんとは仕事で知り合った。
 そこそこ大きなプロジェクトを完遂して、関係各社の担当者が集まり北新地の居酒屋で飲み会をした。取引先もいるということで慣れないお酒も少なからず飲んだ。会は健全に十時にはお開きになった。終電までまだ十分に時間はある。酔いを醒ますために商店街をぽくぽく歩き、突き当たりに提灯のともる社を見つけた。
 露天神社――別名「お初天神」。近松門左衛門の浄瑠璃「曽根崎心中」の舞台の地だ。こんなビル群の谷間にあったのか。ずいぶん遅い時間まで開門しているようで、境内にはまだぱらぱらと参拝者がいる。外灯の光があるものの、夜の神社は妖しい雰囲気を漂わせる。ちりんちりんと風鈴が鳴る。本殿に手を合わせてから、空いているベンチに腰を下ろす。
「初瀬さん?」
 ふいに声を掛けられた。

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