小説

『雨が降ればきっと』岩瀨朝香(『滝宮の念仏踊り』(香川県))

 裕太の手が私の顔にのびてきて、そのぶ厚い親指が私の目元に触れて、その指先を濡らした。
「晴香が、みんなのために頑張ろうとしとるんは、分かっとる。でも、自分ばっかり犠牲にしよったら、いつか限界がくるぞ」
 諭すような裕太の優しい口調に、こらえきれずにドロドロに溶けた本音が流れ出る。
「ほなって、私は、裕太みたいに上手いことできんのやもん。いい人ぶって、空気読んで、誰にも嫌われたくなくて。でも、それも空回りばっかで……どうしたら正解なんか分からん」
 裕太のまわりにはいつも人が集まる。吉田君ともすぐに仲直りしたし、裕太が言えば当番制にだってみんな納得したはずだ。裕太の優しさは、強さからくる本物で、私のは、弱い自分を守るために生み出した偽物だ。偽物の優しさをいくら振りかざしても、いつの間にか見破られて、結局私はいつも一人ぼっちになっている。
 雨が降らないせいじゃないんだ。雨が降ってもきっと、私はこのままなんだ。
「正解、不正解なんか俺にも分からんよ。でも……」
「裕太ー、なん部活さぼっりょん?」
 急に響いた声の先に、ユニフォーム姿の吉田君が立っていた。裕太と同じバスケ部の吉田君は、裕太を探しに来たみたいだ。
「てか、めっちゃ水まけてない?」
「吉田、そこの雑巾持ってきてー」
 吉田君は、裕太に言われるがままに大量の雑巾を抱えながら駆け寄ってくる。私は慌てて涙をぬぐう。やって来た吉田君は、なぜか突然私に向かって頭を下げた。
「晴香ちゃん、ごめん! それに一週間ありがとう! 裕太に言われて、水当番めっちゃ大変やんって気づいて! 明日からは俺も裕太と一緒にやるけん」
 私は驚いて裕太の顔を見るけれど、裕太は照れたようにそっぽを向きながら小さな声で呟いた。
「だけん、俺らのこともさ、もうちょっと頼りにしろや、ってこと」
 裕太の耳元が赤く染まっているのが見えて、じんわりと温かいものが私の中に流れ込むのが分かった。空っぽだった中心が、裕太の言葉に少しずつ満たされいく。
「ありがとう」
 そう言葉にしてみれば、ごめんじゃ埋まらなかった空虚が埋まって、すっと消えた。
「あっ!! 雨や!!」
 窓に走り寄る吉田君の言葉に空を見上げれば、晴れ渡った青空から不思議なほど、きらきらと光る雨が降り注いでいる。
 私たち三人は渡り廊下に飛びだして、身体を打つ雨粒の感覚に、子どものようにはしゃいで走り回り、虹の架かった空にむかって「ありがとう」と叫んだ。

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