小説

『雨が降ればきっと』岩瀨朝香(『滝宮の念仏踊り』(香川県))

 断水が始まって七日が経った。ありがとう、とか、手伝おうか、とかそんな風にみんなが声をかけてくれていたのは最初の三日間くらいで、そのうち給水タンクを抱える私は、放課後の一部と同化して、みんなの目にとまることはなくなった。十リットルのタンクに、トイレで水を汲んで、教室のベランダへと運ぶ。これを二回繰り返す。四組はトイレから一番離れた教室だから、思ったより体力を使う。二回目を運ぶときは、間に一度休憩を挟まないと教室までたどり着けない。
「あーえらっ」
 ため息と一緒に二組の前で腰を下ろす。蓋を開けてみれば、他の組はどこも二人一組の当番制で、二回目を運ぶころにはみんな、すでに帰っている。誰もいない校舎に、運動部の掛け声と吹奏楽部の練習の音が、ぼんやりと響く。
「なむあみどーや なむあみどーや」
 統率のとれていない音に合わせて、自然と口をつく念仏踊りのはやし言葉。雨乞いなんて去年までは伝統行事に過ぎなかったのに、今は雨を祈り待つ気持ちが痛いほど分かるようになった。雨は、もう一ヶ月以上降っていない。朝のニュースで、干上がった早明浦ダムの底から現れた旧役場の姿が映し出されていた。日々0%に近づいていく貯水率を見ながら、私もこうしてタンクを運ぶたびに、空っぽになっていく気がした。
「晴香? そんなとこで、なんしょん?」
 不意に名前を呼ばれて振り返れば、結菜が立っていた。驚きと恥ずかしさで跳ねるように立ち上がる。その拍子に給水タンクが倒れて、結菜の足もとを濡らした。
「うわっ! ちょっと、ダンスシューズ濡れたやん!」
「ごめん! ごめんね!」
「これ最近買ったのに、最悪。晴香って、こういうとこどんくさいよね。あぁ、替えのシューズ取ってこよ」
 結菜が踵を返し、イライラした様子で階段を降りていく。廊下には、タンクから流れ出た水が、大きな水溜りを描き出す。
 あぁ、貴重な水なのに。こぼれた水をすくい上げる。ついこないだまでは、蛇口を捻れば当たり前に流れ出たはずの水。今はその一滴、一滴が惜しい。
 雨が降ってさえいれば、こんなことにならなかったのに。こんな風に苦しいのも、虚しいのも、きっと全部、雨が降らないせいだ。雨が降れば、きっとこんな毎日も終わる。私は青く澄んだ空を見上げながら、ただひたすらに雨を祈った。
「どしたん? 晴香」
 結菜と入れ替わるように階段から現れたのは、裕太だった。水浸しの廊下を見られ、恥ずかしさがこみ上げる。急いで雑巾を掴んでしゃがみ込んだ。
「ごめん、水まけてるから、靴ぬらさないように避けて通って」
 あのホームルーム以来、裕太とはちゃんと話せていない。一人でやれると言っといて、こんな失敗をしでかした私を、どう思っただろうか。水面に映った不安に怯える自分の顔があまりに不細工で、涙がこみ上げてくる。
「さっさと拭くぞ」
 裕太が部活用のタオルを水溜りの真ん中に放り込んだ。
「ええよ、ほっといて。裕太、部活あるやん。まいたん私やし」
 水面に浮いたタオルに驚いて見上げれば、裕太は頭を掻きながら、少し気まずそうに隣にしゃがみ込む。
「水汲み任せたん、俺らやん。ごめんな、一週間も。バスケ部の先輩にも顧問にも話ついたし、明日からは俺も水汲みやれるけん」
 裕太の青色のタオルが水を吸って、紺色へと変わっていく。あぁ、もう部活には持っていけんやん。
「だけん、ええって! 私が勝手にやるって言うたんやけん」
 情けない自分を隠すために、つい強い口調になる。ほんとは給水係を引き受けたことを後悔している自分を、裕太に知られたくなかった。気まずさから、視線をそらして誤魔化すように続ける。
「もうこの一週間で、私、水汲みマスターしたけんさ。一番勢いがいい蛇口とか、楽な持ち方とか。やけん、私にまかしとき」
 裕太の肩を叩きながら、努めて明るく言ったつもりだった。でも、こちらを向いた裕太は笑っていなくて、真っ直ぐに見つめながら、困ったような、傷ついたみたいな顔をしていた。
「お前な、このままやったら枯れてしまうよ」

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