小説

『雨に消えた子』山崎ゆのひ(『あめふり(童謡)』)

「悠馬!」
 悠馬は、びくっとして僕を見た。
「なんだ、マモルか。驚かすなよ」
「お前、僕のお母さんに帰るように言ってくれたんじゃないのか?」
「ああ、あれ」
 悠馬はほっとしたように言った。
「マモルの友達が、君が遅くなることをお母さんに伝えておくって言ってたよ」
「え?」
「その子、僕がマモルに頼まれたことを知ってた。傘を持ってこなかったから、マモルのお母さんに傘を借りて帰るって言ったんだ。自分がマモルのことづけを伝えておくから大丈夫だよって」
 全身の血が逆流したような感じがした。
「その子……誰だ?」
「マモルの友達だって言ってたよ。柳の木の下で雨に濡れて立ってた」
 翔太だ! 翔太が現れた! 僕はわけの分からない恐怖で全身が総毛立った。4月の雨の日に、一度だけ会って遊んだ翔太。自分も優しいお母さんが欲しいと言った翔太。散々探したけれど、学校でも会っていない。だから、翔太という子は、もしかしたらほかの学校から迷い込んだのかもしれないと心の中で片付けていた。そして、すぐに翔太のことは忘れてしまったのだった。

 僕は走り出した。後ろで悠馬が何か叫んでいる。でも、僕には足を止めている余裕はない。
「いらなかったら、僕にちょうだい」
「うん、いいよ」
 冗談で交わした言葉が耳に響いた。お母さんが危ない! 何の根拠もないけれど、そう思った。
 僕は走りに走った。ずぶ濡れになって家に着くと、家の中には誰もいなかった。
「お母さん!」
 家中の部屋を回って、母を探した。どこかで翔太の笑い声が聞こえた。
「君はいらないって言ったじゃないか。だから、僕がお母さんをもらうよ」
「だめ、だめだよ! 返して! 」
「きみの大事なものを欲しいんだ」
 気管支からゼロゼロが這い上がってきた。それは僕の全身を占領し、咳が止まらなくなった。息をすることもできない。苦しくて涙を湛えた僕の目に、柳の木の下に佇む翔太の影が見えた。次第に意識が遠のいていった。

 夢の中で母を見た。一面の雲に身体を包まれて、母は両手で僕を包む。ボールのように丸くなった僕を吞み込んで、母は体をゆすった。そして、もう一度僕を産みなおしてくれた。
「お母さん!」
 母はにっこりと笑って、赤ん坊の僕をあやしてくれた。
ーーーピッチピッチチャップチャップランランラン。

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