小説

『腫瘤』加持稜誠(『こぶとりじいさん』(岩手県))

「酔っ払いが……」
 つい、舌打ちをする。ほんのわずか言葉を交わしただけなのに、菅生のおかげで不快な気分に様変わりだ。一哉は溜め息をつきながら、今一度荷物を抱えて、家路を急いだ。

 
 翌日。
 夜の9時過ぎ。
 夕食も終わり、一哉と加奈子は昨日食べきれなかったアップルパイを、ワイン片手に楽しんでいた。
 一哉が最後の一切れを口に運んだ瞬間、インターホンと玄関を激しく叩く音が聞こえた。
 「あ、俺が出る」
 出ようとした加奈子を遮って、一哉は口をもごもごさせながら玄関に急いだ。
 そして怒号のように鳴り響くインターホンに苛立ちを覚えながら、ドアを開くと……
 「あ! 夜分にすみませんね! でも、おたく、昨日私に言いましたよね? え、駅前のスーパーで掃除機の福引やってるって!」
 そこには怒りを露わにした菅生が立っていた。昨日同様ヘドロを思わせる口臭と酒臭さを撒き散らしながら、必死に喚きたてている。
 「それがどうしたんですか?」
 鬱陶し気に問い返すと、菅生は更に牙を剥いた。
 「私はおたくを信じて、さっき行って来たんですよ! スーパーにね! そして酒とつまみと買って、レジに並んで、お金払って、でも誰も福引の事なんか言わないんですよ! もう我慢ならなくてね! レジの女の子捕まえて聞いたんですよ! そしたら昨日で終わったって言うじゃないですか! どうしてくれるんですか?! 私は掃除機が欲しかった! おたくはその気持ちを裏切った! いや、騙した! 詐欺ですよ! 詐欺罪!」
 尚も喚き続ける菅生。前髪は汗で額にへばりつき、唇には白く濁った唾を湛えながら、彼は怒りに打ち震えていた。
 「そんなことを言われましても……」
 「なんて無責任だ! じ、自分だけいい思いをして、後は知ったこっちゃ……」
もはや何を言っているのか分からない程に、菅生は捲し立てる。もう埒が明かない。
 「警察呼ぼうか?」
 背後で不安そうに加奈子が呼びかけた。一瞬考えた後、それを遮る意味で一哉は右手を上げた。酒も入ってる事だし、今日の所はあまり事を荒立てない方がいいだろう。なにせお隣さんだ。下手すると毎日顔を合わせる事になる。そう思い、一哉は声を上げた。
 「菅生さん、お気持ちも知らずにすみませんでした。僕も不用意な発言をしたのかも知れません。そこはお詫びします。ただ、今日はもう夜遅いですし、菅生さんもお忙しい方でしょうし……」
 一哉は不本意ながらも頭を下げ、菅生が帰ってくれるように、再三謝罪を述べた。

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