小説

『巳吉のわらじ』後藤幹雄(『ごんぎつね』(愛知県))

早起きした巳吉は、一番大きな背板と縄、できあがっている十足のわらじを背負って、おっ母と出かけた。「お庄屋様は気に入ってくれるかなあ?」「ああ」「おっ様の分もあるだか?」「ああ」ゆっくりと二人は坂道を、八柱社(やはしらしゃ)に向かって下って行った。お庄屋様のお屋敷はそのさらに下にある。
八柱社の鳥居の前を通り過ぎる頃、石段の上の境内は賑やかで、祭りの準備をしているようだが、気にも留めず二人は歩んでいく。灯篭を二つ過ぎて五差路を右に曲がり坂の中腹にお庄屋様の屋敷がある。おっ母が裏口から入っていった。「おはようございます」中から忙しそうな人たちの声が聞こえてくる。戸口の外で少し待つと、おっ母がひょこっと顔を出して「入れ」と笑って言った。背板を下ろして抱えて、かがみこんで戸口を入ると中庭、その奥の屋敷の入り口に土間があって、そこでわらじを置いた。
三つはお庄屋様、ご主人様の分、三つは一の番頭の分、そして一つは奥様の分。残りの三つは八柱社のおっ様の分。一の番頭の亀男がくるかと思ったら、奥様が来て「ありがとね」と声をかけてくれた。「へえ」ちらっと見て、作ってきたわらじをほぐしていると、右足を差し出してくれた。素足だった。前に来た時に足の大きさ、恰好、幅、できる限り書き留めておいて、右と左のくせも見ておいてあるからぴったりだ。ただ、小指の爪から血が少し滲んでいたので、さらしを短冊のように割いてそっと当ててから、わらじを履いてもらった。
巳吉のわらじは特別に手がかけてある。足にぴったりと合わせることはもちろん、使うことを訪ねてみて「次の町まで買い出しに行く時に」「「雨の日に」などにも合わせて拵える。
巳吉はいつも、お庄屋様にもらった藁を大事に持ち帰ると、干して叩いて硬さ柔らかさを幾種類も用意して、さらに山で取ってきた蔦のつるを編み込みながら作る。つま先はしなやかに、踵は厚く強く、鼻緒は決して切れず解けず、側は包み込むようにふんわりと柔らかく、しかし硬く、飛んでも跳ねても緩むことなく。絶妙に足に纏いついてくるのである。
男は踵から踏み出し、女はつま先からすり足がごとく歩む。解ける癖も人によって違うので、今まで履いていたものを少し見せてもらいながら、作り込むのである。
奥様は安心した表情で「これで心配なく行ける」と言ってくれた。「また三足作っておくれ」「三日の後に持ってこれるかい?」「へえ」三日後は秋祭りの千秋楽だ。
「亀男!巳吉に渡す藁はどこだい?」大きな声だ。「へい」奥の藁小屋には今年取れた米の藁がまだ少し青々しかった。(急いで乾かさないといけねえ)そう思った巳吉は、持ってきた背板に詰めるだけ藁を縛り付けた。おっと。狭い裏口を通り抜け出るには多すぎだ。少し減らして縛り直したら、おっ母が「行くか?」「ああ」帰り際に「巳吉、わらじは八坂社に届けておいておくれ」「へえ」
おっ母は上機嫌だ。奥様には良くしてもらっていて、お代も色をつけてくれるし、白い米も少し分けてくれる。「飯を食っていきない。白飯だで」「へえ、おっ様にもお届け物があるだで」少し惜しい気持ちもあったが、とにかく藁を干さないといけねえ。巳吉も足早に八柱社に向かった。家に戻る道の途中、長い石段を登ると社務所がある。「ごめんなせい」おっ母が声を掛けると境内の向こうからおっ様の声がした。「今行くで」足早にかけて来ると「よう来たな。わらじがのうなって待っとった」おっ様は白足袋を履いてその上からわらじを履く。「おまんのわらじが一番ええ」「飯くうか?それか、だんごがええか?今年のあんこはめっちゃ美味えぞ」「両方、ええ」おっ母が咄嗟に答えた。「なあ、巳吉?」おいらが出汁に使われとる。(まあええか)おっ様は白飯と梅干しを腹いっぱい、その後は団子と茶をくれた。
「お庄屋様の奥様にわらじを頼まれたもんで、三日の後に届けに参ります」そう言って、おっ母と岐路についた。さあて、早速段取りを始めねば!空を見上げて、お天道様が照るのを期待していた。

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