小説

『巳吉のわらじ』後藤幹雄(『ごんぎつね』(愛知県))

この辺りは穴に住む狐が多いので狐洞(きつねぼら)、少し北の森には鳩とか野鳥が多く烏森(からすま)。巳吉の狩場だ。忍んで歩いて出くわしたら投石して、命中すればお持ち帰り。胸肉と腿が馳走である。巳吉の腕はいつの間にか強くしなやかに振れて、遠くても届くようになっている。肩は勇ましく、背はたくましい。手は大きく握る指は太く長い。そして巳吉は、自分で編んだわらじで、五本の指で大地を捕まえんがごとく、しっかりと踏みしめて石を投げる。見つけても小物は狙わない。子と歩む母らしい親も狙わない。
大空に高く投げて、獲物を上から当てるのが得意だ。少し小さめの石を握るや否や、青い空に向かって少し加減して投げ上げた。猪かもしれない。用心のいい獣だ。昼間から動き出すことはまれなのだが、よほど腹が減っているのだろう。赤土の出た斜面を鼻づらで掘って根っこ食している最中だ。「当たれ。」「少し小さいけど久しぶりの肉だ」そう思って二個目の石を握り、今度は真一文字にまっすぐ、大きく振りかぶって、高く右足を上げ、左手を力いっぱい振った。三投目はもうない。ぐったりした様子が見えたが、ここからがちと厄介である。見えてはいるのだが、なかなか辿り着けないのである。
森を歩くには、やってはいけないことがいくつもある。その一つが「谷をまっすぐ降りてはいけない」のである。草木の深く茂った森は、谷間を流れる小川に向かって枝葉が大きく垂れさがるように生えていく。でもそれは枝葉だけでその下は谷、人は降りていってはいけないのである。道に迷っても「谷は登れ」。巳吉のわらじは強くしなやかに歩みを支え、進んでいく。

少しの柿と猪、栗にはまだ早くて無し。暗くなる前に丸太を渡らなければならない。
明日は祭りだ。お庄屋様に頼まれたわらじを届けて、今年の藁をもらいにいく。今朝のように寝坊できないから、猪の血を抜き、皮を剥いではらわたを捌いてからとりあえず塩を揉んでおいた。柿を吊るして、おっ母の汁をかき込んだらさっさと床についた。おっ母はとても喜んでくれた。また精をつけてもっと大きな獲物を取って、もっと精がつきどんどん体が大きくなって、人様に迷惑かけないように。人様のお役に立てるような体作りも大切だ、と時々話してくれる。うん。うん。と言いながら寝入っていた。

1 2 3 4