小説

『巳吉のわらじ』後藤幹雄(『ごんぎつね』(愛知県))

浮谷村のはずれでおっ母と暮らす巳吉。生きるために作り続けるわらじを通して、村人たちとの日々の様子を素朴に描きます。

巳吉は朝のまぶしい光で目が覚めた。「寝すぎた。」少しあわてて起き上がり、土間の瓶の水で顔を洗った。
おっ母はもう床にはいない。家の前の畑に鍬を入れ、水を撒く用意をしている。
自分のわらじをしっかりと結んで、巳吉は出かけた。家の裏手にある川に仕込んだ鰻の仕掛けを見に、長田池(おさだいけ)から流れ出る境川(さかいがわ)の岸辺、もんどりを沈めた場所だ。行ってみて巳吉はすこしがっかりしたが、また仕掛けを戻して、おっ母の朝飯を思い浮かべながら歩いた。わらじがきゅきゅっと足によく馴染む。
おっ母の朝飯は芋汁だ。巳吉の家は浮谷(うきがい)の上の方。両岸には山が競っていて平地はほとんどなくて、広い田んぼはできないから、小さな畑で育てた芋が主食だ。煮込んで朝飯に汁を食べる。芋の大きさはばらばらだが、美味い。
巳吉は朝飯を食べて畑の水遣りを手伝ったら、またわらじを締めなおして「狐洞(きつねぼら)に行ってくる」と言って、また出て行った。

境川のこの辺りは、川幅は狭くて、夏の前後に溢れる。岸の西側は、石垣が所々に組んであり東側より一尺高い。だから東側が必ず溢れるから、西側の家は何の被害もなく、逆に東側はだれも住んではいなくてただの野原、草木が自然に生えているだけ。だから橋は掛けず、あちこちに太い丸太があるだけ。
家の前の丸太を渡ると背よりも高く茂った草木がぎっしり。でも巳吉には道がわかっていた。いつも、ドングリや木の実、栗が取れる林までの一本道だけ、巳吉は草を刈り、土を起こして、石と樫木を敷いて自分だけの道が作ってあった。雨の後の日は、数日はこの道も消える。水はけの悪い泥と生い茂った草でぶかぶか、の土地、谷なのに浮いているような土地なのだ。厄介などと感じたことはないが、人が入ってこない分だけ自然の花、実、種、獣は豊富で、天気が良ければ何か収穫できる。「今日は柿と栗だ!」そう思って、巳吉は背板の縄をしっかりと握り直した。藁で編んだ袋が二つ縛ってあった。
暫くは平たんな道を進むと、急な坂が現れる。ここを登るにはジグザグに作った坂路を慎重に進む。登り切ると深い谷、杉の大木、その合間に剝き出た赤土の斜面。初めてではとても踏み込めない苦難の連続である。土地はやわらかいが栗石がとても多く崩れやすい。奥の南側斜面にこぶし大の穴があちこちに開いていて狐の群れがいる。とても用心深いが、雨あがりの朝は餌を求めて不用心に徘徊するので出くわすことがある。そんな時はためらわず、足元にある大き目の栗石を一発投げつける。咄嗟のことだ。ためらって目が合おうものなら、投げる前に拾った瞬間に姿はなくなる。

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