小説

『巳吉のわらじ』後藤幹雄(『ごんぎつね』(愛知県))

浮谷の米は、狭い田んぼばかりで多くは獲れないが、谷の合間の温暖な地形の中で、十分な日差しと境川からの水とともにふっくらと育つ。またその稲からの藁は、細くしなやかで、また強くて粘りもあり、巳吉の技量と経験、力強さと相まって、誰にも引けを取らないわらじができる。評判が立つかと思いきや、お庄屋様も口が堅く、八柱社のおっ様以外には話してなくて、今でも少しずつ作っては届けている。どうも、たくさん作ることになってしまうと、思うように注文とおりできてこないかもしれない。と心配しているようだが、そんな事は巳吉には関係なく、少しずつの注文とその納品時に白飯が食えることが楽しみなのだから、それで良いのである。
お庄屋様の屋敷から藁をもらって二日目の朝、巳吉は作りかけのわらじをおっ母の足に合わせてみた。少しだが、お湯を足してそっとおっ母の足を濯いでやった。「ありがとなあ、巳吉」小声で囁いたおっ母。ずっと歩いて、ずっと動いて、土や泥にまみれて。寒い冬もあっただろう。しもやけにもなっただろう。小さな体と小さな足。そっとわらじを当てたら「ええなあ」と言った。「これはおっ母のだ」そう言って巳吉は、奥様の分の三つとおっ母の分の五つの仕上げに取り掛かった。明日は届けに行けそうだ。
次の日の朝、遠くに祭りの太鼓や笛の音が聞こえてきて目が覚めた。昨夜は少し夜遅くまで丁寧に仕上げをした。小さな蠟燭と暖炉の灯りだけの夜。薄暗くて目がしょぼしょぼしてくるが、手の感触だけで仕上げはできる。出かける準備までして床についた。
聞こえてきた笛は稽古の様で随分たどたどしい。朝早くから若い子たちの熱心な稽古の顔が思い浮かぶ。いつものように朝の芋汁を食べると、巳吉は一人で八柱社に出た。(良い天気になってよかったなあ)。昼過ぎ、おっ様を見つけてわらじを預けた。「さあ、一杯のんでいけ」「おみよ、酒を持ってこい」「へえ」おみよは白地の湯飲み茶碗と一升瓶を持ってきた。小柄なおみよには一升瓶は大きすぎる。両手で抱きかかえるように、よろよろしながら持ってきてくれた。奥様の身の周りを手伝う子で無口だかよく動く。「ありがとな」碗いっぱいに注いでくれた甘口の酒を一口で飲み干し、二杯目を止めて祭り準備の境内を後にした。
(帰ったらおっ母のも仕上げせにぁならん)
祭りは日が暮れる頃、篝火を焚いて、皆がそれを囲みながら歌い踊り最高潮に達する。大きな火を囲むと、みんなが一つになったような気がして楽しくもなる。足の悪いじいじもがんばって社までの石段を登り、耳の悪いばあばも聞こえないはずの笛や太鼓に合わせて手拍子を打つ。秋分の候を過ぎて肌寒いくらいだが、皆高揚して頬を赤らめて笑顔を振りまく。酒を饗する者、歌を歌う者、火を囲んで踊る女、大太鼓を叩く男。はしゃぐ子ら。空が白々と明るくなるまで、声が枯れるまで祭りは続く。
(続く)

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