小説

『僕の見る世界』香久山ゆみ(『おいてけ堀』(東京))

 僕は仕事ができない。
 営業のくせに人の顔を覚えられない。
 昔から人の顔を覚えるのが苦手だ。取引先と外でばったり会っても気づかない。それどころか、自分の会社の偉い人の顔が分からないし、同じ課の同僚でさえ、職場で会えば見分けがつくが、一歩部署を出ればもう見分ける自信がない。学生時代は一年間かけてクラスの男子の名前を覚えるのが精一杯で、3月の時点で顔と名前が一致しない女子が必ず存在した。
 そんなだから、本来なら営業職など不向きなのだ。けれど、就職氷河期に唯一内定を得たのが営業の仕事だった。
 もちろん僕なりに努力はした。職場では暇さえあれば座席表と同僚の顔を突き合わせて心の中で何度も名前を呼んだし、いただいた名刺の裏には下手くそな似顔絵がびっしり描いてある。けれど、だめなのだ。あれだけ反復したにも関わらず、対面するともう自信がない。記憶の中のアルバムを必死で捲るも、該当者にヒットしない。候補者を絞れても、最終的にAさんなのかBさんなのか決めかねる。それで結局名前ではなく「すみません」と呼び掛ける。話し掛けられても、相手が誰だか分からないから、愛想笑いしか返せない。通勤途上でも僕から挨拶することはない。
 社会人として根幹をなす部分で自信がないものだから、一事が万事、社内情報にも疎いし、取引先とのコネクションなんてないし、いくら商品知識を増やしたりしたってそれを活用する力がない。仕事に自信を持てない。だから社内ではずっとパソコンに向かっている。誰にも見つからないように。誰とも目を合わせないように。
 ハリウッドスターが自身の病を告白したニュースを見た時、初めて「失顔症」という病気を知った。それですとんと納得した。どこから病気と判定される範疇なのかは分からぬが、少なくとも自分はその傾向を持っているだろう。どれだけ手を尽くしても苦手だったのは脳の機能障害のせいだったのだ。ただ、それを知ったところでどうなるわけでもない。治療法などないし、改善を図るためのトレーニングはあるようだが、それは同じ悩みを持つ人ならばすでに自身で工夫してあれこれやってみるようなこととさほど変わらない。それでもどうしてもだめなのだ。
 どうして皆同じような顔をしているのだろう。顔の真ん中に鼻があって、その上に目が並んでいて、下に口がある。例えば口が鼻の上についていたり目が縦に並んでいれば見分けがつくのに、皆同じ場所に同じパーツを置く。だから僕は、背が高いか低いか、太っているか痩せているか、面長か丸顔か、髪型、眼鏡、服装なんかで区別するしかない。そうするとある程度候補者を絞れるが、同じカテゴリーに数名いた場合特定に至らない。僕がよくホワイトボードの前でぼーっと立っているのは、今日は誰が欠勤で誰が外回り中でだから部屋の中に残っているのは誰と誰で、といちいち確認しているせいなのです。

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