小説

『僕の見る世界』香久山ゆみ(『おいてけ堀』(東京))

「何してんの。まぁた、ぼーっとして。さ、仕事仕事!」
 と同期の児島に注意される。まぁた、髪形変えて! と僕はげんなりする。二人で飲みに行った時にカミングアウトしたにも関らず、児島は平気でころころ髪型を変える。思いやりのない奴だ。けど、そんな児島の方が、頭の回転が速くコミュニケーション能力も高くて、上司の受けがいい。同期で一番の出世頭だ。……僕とは正反対で。
 映画を観て、この主演女優は知っているぞ、きれいになったなぁ、なんて思いながら二時間後にエンドロールでまったく違う女優の名前が流れてきた時の、情けなさときたら!
 自分の恋人の顔さえ見分けられない。これまで付き合った人からは全て同じような理由で振られた。告白された時に、あなたの顔を見分ける自信がないと正直に言うと、「それでもいいよ」「大丈夫」「だから付き合おう」と言ってくれる。それで付き合う。待ち合わせ場所で違う女の子に声を掛けてしまい謝る。混雑したレストランでトイレに立ったあと、違うテーブルに戻りかける。道で偶然見掛けて声を掛けると別人だった。というところを運悪く彼女に目撃されて責められる。それで、彼女かなと思っても気づかぬふりをしていると、なぜ声を掛けないのかと叱られる。
「どうして私が分からないの。好きなら見分けられるでしょ!」
 申し訳なくて、けどどうすることもできなくて、俯くしかない。そんな僕に皆愛想を尽かせて離れていく。
 親の顔でさえ自信がないのだ。例えば旅先とか思いがけない場所に親がいた時、僕は気づくだろうか。似てるな、とは思うかもしれない。けれど、それが本当に自分の親なのかそれとも他人の空似なのか判断しかねる。道行くおばあさんが皆、自分の祖母に見えるので、とにかくお年寄りには親切にする。
 自信がないから、俯いている。誰とも目を合わせないように。誰も傷つけないように。傷つかないように。見つけたって、自分から声を掛けるなんて怖くてできないのだから。
 なのにいつでも自分に向けられる視線を感じる。残念なことに、僕は顔がいい。へんに皆の視線を集めてしまう。勝手に評価されて、勝手に落胆される。それがつらくていっそう視線を落とす。僕の世界はモノクロだ。いつも足元のアスファルトや影ばかり見ている。

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