小説

『古寺の怪』A. Milltz(『耳なし芳一』(山口県など))

いつの間にか、すっかり日が暮れていた。暗闇の中で、岩助の風呂敷くだけが規則正しく揺れ続ける。
「なぜ亡霊を退治できないか…。分かりますか兄さん?」
「なぜって、そりゃあ…」
男は言い淀んだ。岩助について歩くうちに、時間と方向の感覚を失っていた。しかも、そのことに男は気付いてさえいない。
「姐さん、あんたはどう思います?」
「退治なんてできるわけないよ」
娘は即座に答えた。
「だって、亡霊はすでに死んでいるんだもの」
 岩助の背負った風呂敷が止まった。
「着きました。今夜はこの寺で泊まらせてもらいましょう」
果たして、一行の前にはいまにも朽ち崩れそうな古寺があった。建て付けの悪い戸を無理やり開くと、真っ暗な中になにやら気配を感じる。
「誰か」
「怪しい者じゃございません」
暗闇の中から聞こえるその声に、岩助が丁寧に答えた。
「明るいうちにこの峠を下りたかったのですが…」
岩助が一晩泊めてほしい旨を伝えると、暗闇の男はあっさりそれを許可した。
「わたしは岩助と申します。薬の行商をやっています」
そして後ろの二人を振り返る。が、男は横を向いて答えようとしない。
「わたしは凛です。この男は辰」
「おい」
「この男は女衒でわたしは売られた…」
「てめえこの野郎」
辰が凜を突き飛ばした。小柄な凜は一間ほども吹っ飛んだが、体勢を立て直して言い返した。
「なんだい、本当のことを言ったら悪いのかい」
「止しなさいよ、お二人とも」
岩助が割って入る。岩助を押し退けようと肩をつかんだ辰は、その意外に締まった肩に気勢を削がれた。
カチカチ。蠟燭に灯が灯り、ぼうと仄かに明るくなった。
「拙僧は芳一と申す」
奥にちんまりと座っていた僧が名乗った。

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