小説

『古寺の怪』A. Milltz(『耳なし芳一』(山口県など))

   

 グツグツと鍋が煮えている。あたりに漂う脂身の匂い。
 「もういいだろう」
言いながら岩助が鍋のふたを開けた。立ち上る湯気の中に、旨そうに煮えた山鳥の肉があった。三人の箸が一斉に鍋をつつく。
「芳一さんも食べるんですか」
笑みを含んだ声で、凜が言う。
「殺生をせずに生きるという発想自体が、思い上がりというものだ」
真顔で言いつつ、芳一は山鳥を頬張った。
 瞬く間に鍋は空になり、そして…。
「さて、お凛。おまえさんには三つの選択肢がある」
岩助が言った。
「一つ目。なんとか逃げ切ったということにして、里に降りて辰と合流する」
ふん、と鼻で嗤う凛。
「二つ目。来た道を引き返して、親元に帰る。ただし、村に女衒の息の掛かった野郎がいる場合、そいつをどうにかして黙らせなきゃならねえ」
凜の双眸は、何もないはずの虚空を睨む。
「もしくは、凜は死んだ、ということにして、まっさらな人生を独力で始める。これが三つ目だ」
それだけ言うと、岩助は口を閉じた。芳一は何も言わない。凜は虚空を睨み続ける。
 どれくらいの時間が経っただろう。
「一つ目はないね」
凜が口を開いた。
「二つ目も、今すぐってのは難しいね実際」
厳しい顔をしたまま続ける。
「じゃあおまえさんは…」
「そう急かさないで」
凜は岩助の言葉を遮った。
「三つしか選択肢がないなんて、勝手に決めないでほしいね」
黒目がちの瞳が、岩助を捉えた。
「やりようなんていくらでもあるさ」
黙ったまま芳一が頷く。
 凜は二人に背を向けて、ごろりと横になった。
「とりあえず寝るわ。起きてから考える」
そして、本当に寝息を立て始めた。
「この小娘、なかなかのタマじゃねえか」
岩助は感心して思わず漏らした。黙ったまま、芳一が頷いた。

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