小説

『古寺の怪』A. Milltz(『耳なし芳一』(山口県など))

 囲炉裏に火をおこし、僅かばかりの食事を採った後、まもなく芳一は横になった。ほどなくして芳一の寝息が聞こえ始めると、辰は荷物から握り飯を取り出して頬張りはじめた。
「なんでえ、文句あんのか」
それを黙殺して横になった岩助を見習って、凛も横になった。辰が握り飯を食べ終えるか終えないうちに、岩助の寝息が聞こえ始めた。

 夜半…。何者かの声が聞こえる。
「芳一。芳一」
辰は身を起こした。暗闇の中に、囲炉裏の残り炭が微かに赤く光っている。
「芳一。芳一」
遠くに聞こえるその声は、ぞっとするほどに禍々しい。
「芳一。芳一」
声は段々と近づいてくる。思わず辰は周りを見渡した。凜は寝たままだ。と、岩助がいない。芳一は…。奥に目を遣った辰の肌が総毛立った。座禅を組み、なにやらブツブツと念仏を唱えている芳一。そのもろ肌脱ぎの上半身といわず顔といわず、びっしりとなにやら模様が描かれている。いや、あれは模様などではない。あれは…。あれは経文だ。
「芳一! 芳一!」
太い足音とともに、いよいよ声が迫ってきた。加えて聞こえるカツカツという硬質の音。あれは…。鎧の擦れ合う音だ。
「芳一! 芳一!」
壊れんばかりに戸を叩く。凜も飛び起きた。念仏を唱える芳一の声が大きくなる。
「おい、どういうことだ! 外にはなにがいるんだ?」
辰の悲痛な呼びかけに、芳一は応えない。
「芳一! 芳一!」
ドンドンと戸が叩かれる。辰は半狂乱になって、芳一に取りすがった。
「なんとかしろよ、坊主」
芳一は意外な強力で辰を振りほどき、そして壁の片隅を指し示した。
「板の割れ目がある。そこから出ろ」
暗がりにぽっかり空いた割れ目に、頭から捻じ込む辰。が、途中で着物がなにかに引っかかってしまった。力任せに引き抜こうとした刹那。
「ああー!」
絶叫が暗がりに響いた。女の声。と同時に、生暖かい何かが辰の身体に掛かった。遮二無二外に出ようともがく辰。
「待て」
芳一は辰の着物に手を掛け、瞬時の後、それを離した。
「行け。振り返るな」
その言葉を聞いてか聞かずか、辰は外に出るや否や駆け出した。

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