小説

『祭りの日』せとうちひかる(『石城山の山姥(山口県光市塩田)』)

 広場が見えます。そして、たくさんの里の人たちも。山姥は広場の入口でまた足を止めました。
 「山姥がきたぞ!逃げろ!」
 誰かが大きな声で、叫びました。里の人たちは、太鼓のばちを放り投げると駆け出していきます。あわてて、尻もちをつく人もいます。広場は、大騒ぎになってしまいました。その時です。
 「あれ、なんだかいい匂いがするよ」
 小さな男の子の声が広場に響きました。里の人たちの足が、止まります。そして、クンクンと匂いをかぎだします。その匂いは、山姥が胸に抱いた壺から流れていることに気がつきました。みんなが山姥をそして山姥の壺を見つめます。山姥が口を開きました。
 「私の家の扉から出た水は、わたしの涙だったんだよ。けっして、怒って大水を出したわけではない」
 広場には、セミたちの鳴き声だけが聞こえています。一人のおじいさんが、山姥の方に歩いて行きました。
 「私も昔おじいさんから、その話は聞いたことがある。山姥さんに借りたお茶碗を割ってしまったことを謝らなかった里の人たちが悪いと幼いころから、わたしは思っていたよ」
 山姥が微笑みます。その笑顔を見ておじいさんも笑いました。 
 「わたしたちを、ゆるしてくれますか?」
 おじいさんが、頭を下げました。
 「もちろんさ。わたしの涙は人間の涙と違ってものすごい量だからね。勘違いするのは、当たり前」
 里の人たちも、山姥の回りに集まってきました。
 「ねえ、そのいい匂いのする物は何?」
 子どもがたずねます。
 「おお、そうだ。これはミツバチたちの集めてくれたハチミツだよ。さあ、みんなでこれを食べて、元気に祭りをおこなおう」
 「わーーい」
 子どもたちから歓声があがります。山姥の持っている壺に、もう指を入れる子どももいます。
 「これ、これ、お行儀が悪い」
 山姥が子供たちをしかります。
 壺の中に指を入れた子どもの一人が、その指を山姥の口に持っていきました。山姥は、その指をペロリと舐めます。
 「ああ、山姥さんもお行儀が悪い」
 誰かの声に、広場は笑い声で一杯になりました。その笑い声は風に乗り、岩城山のてっぺんに届きます。笑い声を聞いたミツバチたちは、安心したように羽音を大きくたてると働きに出かけて行きました。 

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