小説

『当たりの箱はどの箱か』五条紀夫(『舌切り雀』)

 
 二つの箱を一瞥する。それから老紳士のほうへ向き直る。
「分かりました。では箱を開けるので鍵をください」
「君が開けられる箱は一つだけだ。まず、どの箱を開けるか決めてくれ。そうしたら、その箱の鍵を扉の郵便受けに投函する」
「どうしてそんな面倒なことを?」
 苛立ち気味に尋ねると、老紳士は冷ややかな表情を浮かべた。
「ある資産家は、多額の現金を箱に隠した。それとは別に、毒の入った箱も用意したのだよ」
「毒、ですか?」
「有機リン系の揮発する薬品だ。つまり、箱を開けた瞬間に毒ガスが発生する」
「その毒を吸ったらどうなります?」
「確実に死ぬだろうな」
 馬場は室内を見回した。おそらく、この老紳士の言うことは事実だ。部屋は密閉されており、外部にガスが漏れない造りになっている。
「なるほど、だから俺を部屋に閉じ込めたんですね。あなたはどっちの箱に現金が入っているのかを知らない。そこで他人に箱を開けさせることにした」
「想像力が豊かだな」
「冗談じゃない。こんな依頼は断らせていただきます」
「約束を反故にするつもりかね? いずれにしても、君は仕事を引き受けざるを得ない状況にあるだろ」
「この部屋から出してくれませんか」
「当たりの箱を開けられたらな」
 馬場は舌を打ち、老紳士に背を向けて箱へと向かった。彼の言う通り、監禁されていたのでは歯向かう手立てがない。
 置かれている箱は二つ。どちらも金属製の立方体だが、サイズが異なる。一つは一辺が二十センチほどの小さな箱、もう一つは一辺が四十センチほどの大きな箱だ。蓋状の開閉扉が上部にあり、鍵穴は前面に位置している。本体には隙間も継ぎ目もない。これでは中身を調べることは不可能だ。
「危険物処理の専門家に依頼したほうが良いんじゃないですかねえ」
「それは無理だ。このことは世間に公にはしたくないのでね」

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