「か、か、か、金を出せぇ！！ さ、さもないと、刺すぞ！ 俺、本気、だからな！」
小さなナイフを両手で構え、盛大にどもりながら私の住む狭いアパートの玄関で騒ぐ男が一人。
仕事を終え、疲れた体を引きずってシャワーを浴びた直後の出来事だった。
お湯で湿った髪をバスタオルで拭きつつ脱衣所から廊下に出た私は、物騒な言葉にぎょっとする。狭く短い廊下の向こうに目をやると、玄関の扉は開け放たれており、男がほとんど泣きかけの表情でガタガタ震えて立っていたのだ。
確かに、毎日会社と家の往復ばかり、何か刺激的なことが起こらないかと密かに願っていた私ではあるが、こんな事件は望んでいない。
「と、突然、何のつもり？」
「い、1000万、出せ！！ 今すぐだ！」
会話が通じない。男は威勢良く叫びながらも、とうとう目から涙をこぼしていた。全く、震えて泣きたいのはこっちだっていうのに、どうして脅す本人が脅されている方よりも怯えているのか。
「無理だよ。一人暮らしのOLに、そんな大金出せるわけないじゃん。もう少し考えてから強盗したらどう？」
「う、うぅ、くそぉ。お、俺だって、こんなことしたくないんだよぉ。でも、でも、借金が。助けてくれよぉ……弓ちゃん」
男が泣きながら私の名前を呼ぶ。
彼が、甘えるような響きで「弓ちゃん」と言うのを聞くのも久しぶりだ。聞きたかったような、聞きたくなかったような、複雑な心境で、私は記憶の底から彼の名前を引っ張り出す。
「どうにもできないよ、優太。私だってできれば助けてあげたいけど、持ってないものは出せないし。借金作ったのだって、あんたがギャンブルにつぎ込んだからでしょ？ 別れる前に散々、ギャンブルはほどほどに、って私も言ったし」
優太の手からナイフが落ちた。刃先が廊下の木目に刺さり、ピンと垂直に立つのが私の視界に映る。突き刺さったナイフの向こうでは、男が背中を丸めて泣き出していた。これが私の元彼の姿とは、なんとも情けない。
