備前の国の、ある村のお話。
山々の間に広がる大きな盆地に、村の名主の弥助が住んでいた。弥助には貝姫と呼ばれる評判の美しい娘がいた。貝姫の名はチヨといい、心優しい娘だった。チヨは村人が狩りのために山に入っていくのを見るたび、生き物たちが命を追われる姿を想像し胸を痛めていた。
裁縫を得意としたチヨは、いらなくなったボロ布をもらい受けて作務衣などを作り、村の店に卸して少しずつ金を貯めていた。その使い道は決まっていた。それはチヨが“貝姫”と言われるゆえんともつながる。行商が売りにきた巻貝を、チヨが毎度全て買いあげた。そこで「巻貝の好きな名主のお嬢さん」ということで、いつしか“貝姫”と呼ばれるようになった。さぞかし巻貝が好物なのだろうと周りから思われていたチヨだが、実は、一度も食べたことはなかった。子の刻になると籠一杯の巻貝を持って、近くの小川へと向かうのだった。
「苦しかったね、さあ戻りんしゃい」
巻貝たちは、すーっと水に馴染み、岩陰へと隠れていった。
チヨは貝だけでなく森の生き物たちも大事にした。以前、山で大きな傷を負ったシカと出くわしたことがあった。シカの前脚は血で染まっていて動けなくなっていた。
「仕掛け罠から逃げたんやな」
チヨは、小川から水を汲み、また笹を切っては集め、樹の皮を山ほど削ってシカの傍に置いてあげた。
「お食べ。お前さん、かわいそかばってん、村には狩りを生業(なりわい)にしている人もおるけん。堪忍な」
その後もチヨは、キツネやタヌキが傷ついているのを見かけては、同じように水や食べ物をせっせと世話してあげたのだった。チヨの優しさは父親譲りだった。名主の弥助の元には金や食べ物などいろんなものが村人から届けられたが、弥助は一切自分の懐には貯めず、祭りの時や村人が困った時にだけ惜しみなくふるまった。村の人は“長者どん”と親しみを込めて呼び、穏やかな暮らしが続いていた。
ところが、ある年の夏、村に危機が訪れた。長い間雨が降らず、田畑が枯れ果てようとしていた。
「ええかげん、雨が降らんと田んぼが枯れてしまう。もう土が白くなってしもうた。一緒に雨ごいしてくれんね」
チヨは父に頼まれ、一緒にお祈りをした。
「八大龍王様、雨ば降らせたまえ、雨ば降らせたまえ、お願いもうまおす~」
来る日も来る日も、祈ったが、雲のかけらさえ現れることはなかった。
そこで、いよいよ神社にお籠りをして、昼夜雨乞いを始めた。
しかし、7日続けても太陽は強く照り続けた。
もはや最後の手段と、山の頂上で沢山の木を燃やす雨乞い、千駄焚(せんだだき)を行った。
「八大龍王様、雨ば降らせたまえ~」
弥助は頭を地面にこすりつけ、声が枯れるほど何度も何度も祈りを捧げた。
すると。
突然頭に雫が1滴落ちてきた。
「雨さ降ってこらしたか!」
弥助は喜んだが、顔を上げると空は晴れわたり、依然強い日差しが顔を照り付けた。
「だめか・・・」ため息とともに肩を落とすと、近くに高価そうな着物を着た一人の男がいるのに気が付いた。
「ん?お前さんは誰ぞ?」尋ねると男は答えた。