小説

『うみの子』鮎谷慧(『赤い蝋燭と人魚(新潟県上越市大潟区雁子浜)』)

 男の手足には、すでに感覚がなかった。皮膚の内側には、徒労と惰性が無理やり詰め込まれたようで、骨が、筋肉が、夕闇の気配の中できしんでいた。

 男は、船に乗ることができなかった。はじめのうちは村民も、そんな彼を哀れみ自らの船に乗るよう誘ったが、男には乗ることができなかった。海を見ていると喜びにも似た法悦が男を包んだが、汀よりも先に進もうと、海に触れようとするたびに、不思議と男は恐怖に襲われるのだった。

 次第に村民は彼から離れ、「船に乗らない船乗り」だと蔑むようになった。それでも彼は、海を見ているだけで、海のそばで暮らすだけで、朔月の珊瑚のように、穏やかで静かな心持だった。

 やがて沖へ出ていた船たちが、夜に飲み込まれた海から逃げるように、次々と舳先へ灯りをぶら下げ、のろり、のろりと戻ってきた。遠目に見ても、彼等の魚籠は空ではない。男は網を繰る手を止めると、うつむき、じっと自身の手を見つめた。かすかにふるえる傷だらけの手。何も掴み取ることのできない手。男の心には、にわかに動揺が芽生えた。
 暮れた浜辺で一人立ち尽くす男の周りに、亭主の帰港を待ちかねた女や、腹を空かせた子供たちが姿を見せ始めた。静かだった浜は、男を取り残して活気に満ちていった。

 一隻、また一隻と、浜に船が乗り上げる。船からは鱈の詰まった魚籠が担ぎ出される。男の隣にいた女が歓声を上げながら、船に駆け寄った。
 次々に船が浜へ乗り上げる。どの船からも鱈や鰰、鮟鱇が積み下ろされる。そして誰もが、男のことなど目に映らぬように歓声を上げたり、喜びあったりしている。

 男はなるべく目立たぬよう、網を投げ続けた。
……浜辺で網を扱ったところで砂しか獲れまいに。
……なあに、奴さんは船にも乗れぬ腑抜けものさね。
……今日も今日とてテングサの汁物と雑魚の三杯酢か。

 男は自らを謗る声をいつものように聞いた。怒りも恥もない。ただ、網を投げ出して家に逃げ込むことも出来ぬ自身を、恨めしく思うだけだった。
 ごぉ、という音を上げ、北風がまともに吹きすさぶ。浜に出ていた者たちは、揃って首をすくめると、重そうな魚籠を下げながら家路を急ぎ始めた。男は、再びの静寂をかみ締めながら、力いっぱい網を投げた。それはすでに、何かが獲れることを目的にした行為ではなかった。海水を傷に受け、血を海へ注ぐ、海との交歓であったのかもしれない。

 男は不意に、あの日持ち帰った蝋燭のことを思い出した。
 朱色の魚が海藻の合間で漂っている絵図だった。魚は寂しそうにも見えたが、今になって思い返してみると、幸せなようにも見える。

 海を愛している。男は、傷に染みる海水の冷たさを愛おしみながら、しみじみとそう感じた。男の引く網に、常にはない重みが感じられるようになったのは、ちょうどその時であった。不意の出来事に、男は歓喜よりも先に、不安に似た感覚を覚えた。これは、魚ではない。なにか、もっと尊いものに違いない。
 男の直感に違わず、引き上げられたそれは、美しい赤子であった。

 男がいつから子供を持ったのか、はっきりと覚えている者はない。ただ気が付いたときにはもう、男のそばには常に、美しい蝋燭を握る少年が座っていた。
 男と少年が、連れだって浜辺へ腰掛けると、不思議なことに新鮮な魚や海老が、彼等の足元へと打ち上げられた。男はもう、網を引くことがなかった。親子は毎日、浜に腰掛け、海を眺め、二人で眠った。
 彼等を謗る者もあったが、波音がそっと、親子の耳を塞いだ。その睦まじさは、遠く南の、男の故郷にも聞こえたと云う。
 老女は笑っただろうか。

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