小説

『粗忽ノーフューチャー』平大典(『粗忽長屋(江戸)』)

「そうだ」八さんは相槌を打つ。「そのクローンってやつだね」
「ですけど、おじいさん」警官が、クマとジョン・ドゥの顔を見比べる。「あの失礼ですけど、この倒れている方は、そちらのクマさんという方のクローンにはどうしても見えないんですけども? というか、この男性、行き倒れと比べると、顔も浅黒いし」
「そんなもん、こっちのクマは風呂にあんま入らねえからだ!」
「いや、声もだいぶ違う」
「苦労の差だ」
「体格だって」
「こっちのクマは麦酒の飲み過ぎで肥満体型なんだよ! ダイエットすりゃほぼ一緒だよ」
「はぁ」
 若い警官は、不満げな表情になる。八さんからどんな屁理屈を聞かされても、納得がいかない。
 当たり前だ。理屈などないのだから。

 
 一方の八さん、警官の煮え切らない態度に、顔色が赤へ変貌していく。
「おいおい、警官さんよ、さっきからよぅ、ふざけるなぃ。クマはクマだろがぃ。警官さんよぉ、俺が間違えているってんのか?  これが誰か知りたいって言ったのは、おめえさんだろうが」
「八さん」警官も頭を捻る。「あなたが言うことは半分正しいし、半分間違えて。というより、そもそもこの男性は、クマさんではないというか、ドラッグ中毒者かもしれませんし、クローンかどうかも……」
「白黒つけろぃ。官憲はすぐそうやって物事を曖昧にしやがるんだ」
「落ち着いてください! 倫理的にも法律的にも、クローンの話自体がかなり厄介なんですよ! 人間の複製品というかですし。最近ではなりすまし詐欺も横行している始末で、犯罪の温床にもなりかねない……」
「複製品だと! そもそも、クローンってのは何だい? えぇ?」
「まさか、クローンの意味が解らず会話していたんですか?」
「人をモノみてえに言いやがって。おまわりさん、おまえさんは、若いくせに血も涙もねえ。いけねえな、クマは人間だ! クローンが人間じゃないだと。……上等だ! だから、こいつら二人はクローンではないんだ!」
「じゃあ!」若い警官も真面目だ。さすがに頭に血が上る。「じゃあ、この男とクマって人はなんだっていうんですかっ? 赤の他人てことでよいですよね?」
「他人じゃねえって何度も言ってんだろ。倒れているのも、ぼうっとしているのもクマで、こいつらはクローンじゃない。ということは……」八さんは手を叩く。「そりゃ、おめえ、そもそもクマは二人いたんだよ、そうに決まっている!」
「へ?」
「クマが二人もいねえなんてのは証明できねえだろがい! 実際にここにいるのだから。いやもしかすると、三人、四人いるかもしれんぞ」
 あまりの理屈に、警官は意識が飛びそうになった。

 
 そこへ通りすがったのは、銀座の一等地に店を構える衣服店の若旦那である。
「あれあれ、なんだい、あの人だかりは?」

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