心外よ、と少し恥ずかしそうに女が私を睨む。・・・うん、そうだ。
「お前の笑顔は美しい。」
「なに、急に。」
「けれど、そういう顔も、美しい。」
女は小さく息をのむ。もう一度手を差し伸べて、名前を呼んだ。
「黒姫。」
「っ・・・」
「言え。声に出せ。」
下を向いた彼女の肩が震える。少しの沈黙の後、差し出した手に、小さな手が重なる。
「・・・けて。」
「助けて。」
彼女が苦しそうに紡ぎ出した言葉に頷く。彼女は泣いていなかった。けれど瞳は潤んでいて、その小さな手で必死にしがみついていた。
夢だったのだろうと思った。誰かが助けに来てくれるなんて夢物語だ。私はこのまま、自分の意思を持たずに生き続ける。 せめて亡くなった母そっくりのこの顔で、母が可愛いと言ってくれた笑顔で生き続けるのだ。そう、決まっている。けれど、昨 日の言葉が嬉しかった。もうそれで十分だ。私は昨日を思い出すだけでこれからも生きていける。
「出てこい。」
急にふすまが開いて、父上の声がする。そういえばさっきから何か外が騒がしいな、なんて思っていたのだけれど。外に出て、息が止まった。
「初めまして、黒姫様。」
そこにいたのは1人の若い男だった。見たことの無い顔、でもその声は聞いた事があった。なによりも彼が着ている羽織の柄は、いつもひらひらと飛んでいた素敵な蝶々と同じ。
声が出ない私を見つめて、彼は優しく微笑む。その後父上に視線を移して、その場に跪く。
「どうか、黒姫様を私に下さいませんか。」
彼の事を一瞥して、父上はふんっと鼻で笑う。
「何の貢物も持ってこれないような男にどうして大事な娘をあげることが出来ようか。」
その言葉に母上もわざとらしく大きく頷く。大事な娘。思ってもいないくせに。もう一度頭を下げて、そして彼は自分の正体を明かす。その告白に驚いた様子2人は、人間ではないものには尚更娘はあげられないと首を振る。それでも彼は何度も頭を下げて、そのうち分かった、と父上は面倒くさそうにため息をついた。
「明日、本当の姿でわたしの馬に遅れずに城のまわりを二十回まわれたら、姫をやろう」
その父上の言葉に、お礼を言ってひとまず彼は帰っていった。真っ暗で怖い夜も、その日はなんだか怖くなかった。
次の日、約束の時間に現れた彼は、馬にまたがる父上の隣に並ぶ。
「黒龍、よいか。」