小説

『会いたい人』春野萌(童謡『赤とんぼ』)

 電車の中で豪快に眠る村松さんと遭遇した茜は、彼女の顔が知人とそっくりであることに気付く。これから大好きな人に会いに行くという彼女に興味を抱き、感動の再会シーンに期待を寄せる茜だったが、ついて行ったその先で思いもよらない光景を目にする。

 女の人が寝ている。
 正確に言うと、電車の座席で、3人分の席を占領して、女の人が寝ている。お尻は1人分におさまっているのに、耐えきれず投げ出された胴体が残念だ。
 僕は周りを見渡してからその隣に腰をかける。見た目は若いけど、同じ学生には見えないから20代半ばくらい。ひと際目立つ真っ赤なキャップからは、短くカットした茶髪の毛先がぴょこぴょこ跳ねていた。
 規則的に流れる寝息を聞きながらスマホの写真を眺める。高校の卒業式に撮ったものだと言っていた。セーラー服姿で笑う少女の目元は確かに覚えがあるのに、やはりどこか他人のような気がした。
 ぼんやり揺られていると、目的の駅を告げるアナウンスが流れる。ようやくスマホから目を外して腰を浮かせようとした時だった。

「ごめん、お金貸してくれないかな?」

 隣から聞こえる声の主を見て思わず息を呑む。
 寝跡のついた無防備な顔が、先ほどまで見つめていた少女の顔とそっくりだったのだ。

 この状況をどう捉えたら良いのか混乱した。電車が止まる。思わず立ち上がると「私もここで降りるの」と彼女も立ち上がった。
「やばい、すごい体勢で寝てた」
 彼女は他の乗客に向かってペコペコ頭を下げてから「とりあえず降りようか?」と開いたドアに目をやった。

 事情を要約するとこうだ。
 モバイルICで乗車するもスマホのバッテリーが切れてしまった。財布の入ったバッグも丸ごと忘れたことに気付き絶望していたところ、善人顔をした人(僕)を見つけ相談した、ということらしい。
 駅員さんに相談するよう勧めるのが最善だと分かっていた。でもこのタイミングで彼女を助けることは使命のような気がして、気付けば「いくら足りないんですか?」と聞いていた。

 彼女の名前は村松涼子さんといった。僕のスマホに連絡先を打ち込んでもらった後、自分の分を書いて渡すと恭しく受け取って「茜君、ホントにありがとう」と頭を下げた。家族以外に名前を呼ばれるのは久しぶりだった。
 念のため財布からいくらか追加で渡すと、再び両手で受け取ってそのままポケットへ入れようとする。
「落としますよ」

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