小説

『龍の祈り』夏目会(『黒姫物語(長野県)』)

「母上に叩かれたの。いつもは顔だけは避けるのに、今日は機嫌が悪かったみたいね。」
「その腕は」
「父上。馬に上手に乗れなくて。そんなんだから顔だけだと笑われるんだって。」
 そんなこと言われても困っちゃうわ、なんて言って女はまた微笑む。
「・・・なぜ笑っている。」
 私の質問に、女は心底不思議そうに首を傾げた。
「なぜって・・・。笑っていたって泣いていたって状況は変わらないんだもの。」
 女は、淡々と語った。
「私は妾の子で、みな私の事が嫌いで、顔だけが取り柄のただのお飾りのお姫様なのよ。それはずっと変わらないの。泣いていたって、落ち込んでいたって、私はずっとこのまま。」
だったら笑っていた方がいいじゃない、そう言ってから、女は私の顔を見る。
「それにね、」
「亡くなる前母が言ってくれたの。私は笑っている顔が一番可愛いのよ。」
 真っすぐ私の目を見つめて、女は笑う。
 美しい、素直に、そう思った。
 それから女が来るたび話をするようになった。少しずつ微笑み以外の表情も見せるようになっていたが、泣いている事は一度もなかった。どんなに傷が増えていても、酷い事を言われたようでも、女は泣かなかった。私は思った。この女は泣く代わりに笑っているのだと。笑っていないと泣いてしまうから、毎日微笑んでいるのだと。
「池には恐ろしい龍がいるなんて嘘ね。」
 ある日、女がそういって私の方を見上げる。
「だって、あなたはいつだってこんなにも優しい。」
 女は笑う。曇りのない目で私を見る。その日、女の着物と髪は乱れていた。いつもよりも心細そうで、その手は震えていた。それでも女は泣かずに笑って、一人で立っていようとする。
「・・・おい、女。」
 立ち上がって、女に手を差し伸べる。その手を不思議そうに眺めて、なあに、と問う。
「助けてと、言え。」
 私の言葉に女はビクッと小さく肩を揺らした。
「なぜお前は1人で耐える、なぜ笑ってばかりいる、もっと怒れ、叫べ。なんで私がこんな目にと泣き叫べ。」
 いつも通り女が微笑もうとするから、その頬を両手で引っ張る。初めて触れた女の頬は柔らかくて、ただ不細工な顔に思わず笑ってしまった。
「ちょっと!人の顔見て笑うなんて失礼ね!」

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