小説

『僕が僕であるためのセルフイメージ』サクラギコウ(『みにくいアヒルの子』)

 20年のときが埋まっていく。
 三山が僕を見つけて抱きついた。「よく来てくれたな」と言いながら涙ぐみそうな顔をしている。「僕を嫌っていないのか?」と思わず訊きそうになった。
「おまえはクラスの出世頭だ」と嬉しそうに笑った。
 一度も出席していなくても誰も僕を拒否しなかった。何もなかったかのように受け入れてくれた。
「やっぱり、准也はクリーニング屋の息子だな。アイロンばっちりだ」
 三山が僕のワイシャツを褒めた。嬉しかった。今までクリーニング屋であることが良いと思ったことはなかった。でも今、皺のない美しくアイロンの当てられたワイシャツを着ていることが誇らしかった。
 僕は今「クリーニング屋の准ちゃん」だった。

 うちの店のワイシャツのクリーニング代は1枚350円だ。1枚150円で引き受けるチェーン店もある中で、価格を落として手抜きの仕事をしたくないというのが、父と兄の考えだった。
 僕は内心「誰だって安い方がいい」と思っていた。だが安いクリーニング店の仕事は、アルバイトやパートがすることが多く、仕上がりは明らかに違った。だから一度離れても「皺が残っている」「薬剤を多めに使ってクリーニングするためか、冬のコートの毛足がすり減り生地の良さが無くなった」などの苦情を抱えて、うちの店に戻ってくる客も多かった。父はクリーニングを素人でもできる仕事だと思っていることに、腹を立てていた。
 うちの仕事は丁寧で仕上がりが綺麗だと評判だ。小さなクリーニング店だがそれなりに顧客が付いていた。
 でも夏は地獄だった。僕は絶対にこの店を継がないと思っていたし、兄にも宣言していた。兄は「俺がやるから、お前は好きな道へ進んでいいよ。俺は准也みたいに頭が良くないから」そう言って、大学卒業後クリーニング店を継いだ。
 僕は遊んでいる同級生を馬鹿にして必死に勉強をした。だから合格できたし、一流企業にも就職できたと思った。僕の努力の成果だと確信していた。
 中学時代のセルフイメージは、トラブルを避けひたすら勉強に頑張る姿だ。友人からはがり勉の嫌なヤツだと思われていたに違いない。それでも良かった。
 僕は卑屈でプライドばかり高い人間なのだ。
 無視されたことが許せなくて……、
 そうだ、僕が無視されたのは、あの時三山が僕の言いなりにならなかったことが原因だ。別の友人に「誰でも自分の言いなりになると思わない方がいい」そう諭すように言われた。それに僕は反発した。僕は常に最初に物事を決め、他者を引っ張ってきた。あの時の三山の拒否は僕に対する抗議だったのだ。それに気付かなかったから……、僕から離れていった。

 月曜日は兄嫁も職場に休暇願を出し、店は本日臨時休業の張り紙を出した。朝から、母、兄、兄嫁そして僕と大人が4人揃って病室に並んでいるのを見て、父が「大袈裟だなー」と笑った。
 手術は1時間もかからず終わった。手術後、ストレッチャーに乗った父が「よっ!」と手を挙げた。担当医はビーカーに入れたクラゲのような物体を「これが、そうです」と僕たちに見せた。

 僕は父の元気な姿を確かめて、その足で駅へ向かうことにした。
 兄が車で駅まで送ってくれた。
「店を押し付けちゃったこと、悪いなって思っている」
 良い機会だと思って兄に言うと、兄が
「准也は我が家の希望の星だったんだよ。だから、頑張れ!」と笑顔で肩を叩いた。重荷になったりプレッシャーになるから、 今まで家族は誰も口にしなかったと打ち明けた。
 自分一人の力ではなかったのだと気づくまで20年もかかるなんて。
 なんてヤツだ。
 僕は僕に「ふん」と鼻で笑った。

 兄が照れ臭そうに「父親になる」と打ち明け「准也は叔父さんになる」と付け加えた。僕は「おめでとう」と声にならない声で言った。

 兄の運転する軽トラが走り去るのを見ながら、今度は声に出して叫んでいた。
「おいチビ助、きみの両親や祖父母と同じくらい、叔父さんもおまえを愛し歓迎するから、安心して生まれて来いよ。待ってるぞ!」

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