小説

『人間ドッグ』高平九(『桃太郎』)

 生田勇児になってからはすべてがうまくいった。仕事で行き詰まると必ず誰かが助けてくれた。難しい商談も勇児が手がけると簡単に成立した。それらはすべて名前のせいだというのか。
「いや、そんなはずはない。名前などなくても君を幸せに……」
「無理だったと思う」
「なぜ、そんなことが言える?」
「だってあなたの名前は尾谷勇児、『お、に』でしょ。けして幸福になれない名前だもの」
 尾谷勇児。つづめて鬼。それが生島勇児になれば雉。だからきぬは生田の家に夫婦養子に入ろうと言ったのか。「生田」なら「い」ではじまるからきぬも「いぬ」のままでいられる。「生」は「き」という読みもあるから勇児も「きじ」になれた。勇児はふと同期の小田慶二を思った。奴の名前もつづめると鬼だ。だから赤鬼は離島に埋もれたのか。
「ねえ。テレビをつけてくださる」
 きぬが何事もなかったかのように言った。勇児は震える手でリモコンをつかみ電源を入れた。
「本日、総理大臣に百瀬太郎氏が就任しました……」
 女性ニュースキャスターの甲高い声がして、百瀬太郎新総理の丸顔が画面いっぱいに笑っていた。百瀬の少年のような風貌は国民から愛されていて、彼が首相に就任したことを国民の多くが喜んでいた。
「とうとう私たちの時代が来たのね。もっと見ていたかったけど……」
 画面を眺めながらきぬが呟いた。勇児はきぬの勧めでずっと百瀬を支えて来た。長女の紅葉は百瀬に嫁ぎ、長男の正治は今や党の幹事長だった。坂田勝の長男の徹も同じ派閥の有力議員になっている。それらがすべて名前でつながった一族だなんて……。知らなかったのは勇児だけなのか。いや、もしかすると坂田も知らなかったのかもしれない。勇児はテレビ画面のなかでにこやかに手を振る百瀬を見て思った。
「いや、きっと百瀬もだろう」

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