「僕、これ元に戻してから帰るよ。」
ミツルだけは出入り口とは反対の方に駆け出していく。
「うん、じゃあねー!」
「ただいまー」
「おかえりミツル。ご飯できてるからよく手を洗ってよ。」
母の声とキッチンから漂う美味しい香りがミツルを出迎えた。
ミツルの手の中には、あの小さな靴が息を潜めていた。
元の場所に戻そうと倉庫下までやってきたミツルは、しばらくその靴を見つめると、どうしてももう少しだけ見ていたい気持ちを押さえきれなくなっていた。とても汚れているし、僕がきれいに洗って明日また持っていこう。そう思い、ミツルは靴を持って帰った。
ミツルはそろりそろりと洗面所へ向かう。靴は必ず返すと決めていても、持ち帰ったことがやはり悪いような気がしてコソコソとしていると、「何しているの?」とキッチンから母のマリが顔を出した。これが母親の感というものだ。
「え!あの…。汚れてたから。洗おうと思って…。」
言葉もおぼろに、すでにジャブジャブと洗面台を水浸しにして靴を洗っているミツルは身動きが取れなかった。
「え?靴?」
マリはミツルの持っている靴をしばらく見つめると、何かを思い出した様に「あら!」と一声発して洗面所を飛び出して行った。
汚れが落ちて、より可愛らしくなった靴を掌に乗せてリビングへ行くと、そこには大きな段ボールの中をゴソゴソと漁る母の姿があった。
「ママ?何してるの?」
「…あ!あった、あった!やっぱりそうよ。」
母はミツルの掌に乗っている靴とまるで同じ物を段ボールから取り出した。ミツルの持っているものより汚れはなく、もっとピンク色がはっきりとしていた。
「ミツル、ちょっと来てごらん。」
ミツルを手招きすると、お互いの持っているバレエシューズを合わせてみた。
右と左。見栄えがだいぶ異なっているが、引き離されていた靴が今、隣同士に並んでいる。
「これ、どうして…?」
ミツルは何が何だかわからなかった。胸のドキドキが耳のそばで聞こえる。
「これね、ミツルのファーストシューズなの。でも、どこかに片方落としてしまってね。探したけど見つからなかったのよ。」
「でも…なんでこの靴なの?」
マリはミツルの肩にそっと手をのせると、優しく言った。
「だって、ミツルが選んだんだもの。ママはミツルがいいと思った靴、好きな靴を履かせてあげたかったの。」
「じゃあ、この靴…」
「間違いなくミツルのよ。ほら、ここにMって書いてある。」