小説

『この道』山本(『この道』)

「フィンランドでガイドしてたんだ」
「まあ、じゃあお父さんと同じ仕事してらっしゃるんですね」
 佳代は鼻をすすった。男性が佳代の手を握り、喫茶店のほうを向いて「行こう」と笑う。歩くたびに、靴の下で小石がじゃらじゃら音を立てる。喫茶店のドアを開けるとコーヒーの香りが頬を包み、奥のテーブルから手を振る女性と女の子の姿が見えた。

 カメラを持ってくれば良かったと佳代は思った。喫茶店を出ると目の前に、白い立派な灯台が立っていたのだ。せめて記憶に残そうと佳代は深呼吸し、映像と香りをリンクさせる。どこか懐かしい磯の香りだった。同じ種類の海藻が生えていると、場所が違っても同じ香りがするのだと佳代は聞いたことがあった。
 男性が隣に立ち、同じように深呼吸する。
「またすぐ、見にこれるよ」
「だといいんですけど」
 もう一度戻ってきたいと佳代は思った。知らない国の知らない街で、知らない人々と会話をし、どこか懐かしさを感じながら生活する。
「ここに来てもう長いんですか?」
 佳代は尋ねた。
「四年、かな。そうお父さんは言ってたよ」
 男性が答え、車へと歩いていく。助手席のドアに手をかけ、佳代を手招きする。後部座席の窓から女性と女の子が振り返って佳代を見つめている。もう一度だけ深呼吸すると、佳代は車へ向かってゆっくりと歩いていった。
「行こう。お墓に向かう前にお供えする花を買わないといけないんだ」
「花ならわたし、ひなげしが好きなんです。もう咲いてるかしら」
 佳代が助手席に乗り、運転席に回った男性がエンジンをかける。
「大丈夫。それならもう花屋さんにお願いしておいたから」
「野原に揺れてるのが綺麗なんですよね」
「お父さんも好きな花だったから」

 途中、赤信号の交差点で止まったとき、佳代は何だか以前にもここで信号に引っかかった感じがした。目の前には片側一車線の道が伸びている。
「この道……」
「ああ、そうだよ」
 男性が遠くの海岸線に並ぶ風力発電のプロペラを指す。
「ほら、今日はみんな回ってる」
「どこにも同じような景色があるんですね」
 佳代がつぶやくと、後ろで女の子がクスクス笑うのが聞こえた。

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