小説

『この道』山本(『この道』)

 女の子の声が聞こえ、佳代は窓を閉めた。それからガイドの横顔をちらっと眺めた。

 十五分ほど走ると、窓の外には海が広がった。
 ごつごつした大きな岩が突き出し、岩からは松が腕を広げている。濃藍の波がぶつかり、飛沫が砕けている。
 湾曲した海岸線の先に灯台が見え、佳代は「あら」と声を漏らした。同じ風景をまるで額縁に飾られた絵画のように眺めた記憶がある。他に車のいない交差点の赤信号で、佳代は何だか以前にもここで信号に引っかかった感じがした。
「今日は天気がいいから、よく見えますね、あの灯台」
 後ろの女性が話しかける。
「どこ?」
 女の子の背ではまだ見えないかもしれない。
「空が青いから余計に灯台の白が映えるんだよ」
「本当。綺麗ですね」
「見えない~」
「今からあの灯台のところまで行くのよ。そしたら大きく見えるから」
「今見たいのに……」
 女の子は不服そうだ。佳代はそのいつか見たような灯台から目を反らし、目の前の片側一車線の道を見る。アスファルトの脇は海からの砂で覆われ、葉っぱの細い植物が点々と生えている。信号が青になり、車が走り出す。この道も何だかいつか来たことがあるような道。
「喫茶店でチーズケーキ、食べるんでしょ?」
「食べるー」
 途端に機嫌が直る女の子の元気な声が響く。
「わたしもチーズケーキ、大好きなのよ」
 佳代が話しかけると、女の子はやっぱり恥ずかしそうにクスクスと笑った。

 車を降りると、潮風はよりいっそう冷たく佳代のジャケットを揺らした。
 さっきまで「灯台、灯台」と騒いでいた女の子は避難するように喫茶店へ駆け込んでいく。海を見続ける佳代の肩にガイドの男性が手を置き、「風邪引くよ」とつぶやく。
「どこかでお会いしたことありましたっけ?」
 思い切って佳代は尋ねてみた。男性は口を開き、何か言おうとしては考える仕草を繰り返す。海の匂いだとわたしたちが感じているものは、実際には海藻の匂いだと佳代は聞いたことがあった。同じ種類の海藻が生えていると、場所が違っても同じ磯の香りがするらしい。
「お父さんのことじゃないかな」
 男性は向かい風に目を細めて言った。陸に引き上げられたボートにかかる青いシートがばたばたと音を立てている。
「俺、お父さんの若いころにそっくりだって。その記憶にいるのはお父さんだよ」
「あなたのお父さん?」

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