小説

『襲名』坂井千秋(『庭』)

「あいつが交通事故で死んでからのお前の上達ぶりは、見事なものだった」
 兄は黙って透明な液体に映る自分の顔を見つめている。
「まるで、お前に朔が乗り移ったようだったよ」
 歳を取ってから、父は医者から酒の量を減らすように言われていた。だが今日は祝いの席だ。珍しく上機嫌の父を制止して興を削ぐこともないだろう。兄はそう思った。
 雲ひとつない、月の輝く夜だった。それはこれから先の兄の未来を祝福してくれているように感じられた。指先に微かな痛みを感じ、兄は右手を卓の上に置いた。どこかで切ったとみえて、人差し指の先から、うっすらと鮮やかな赤い血が滲んでいた。口元に近づけて、舌先で舐め取る。あの時と同じ味がした。

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