小説

『レモン味の』斉藤高谷(『檸檬』)

 たぶん、彼とわたしは同じ過去の出来事を見ている。
 思い出させたのか、忘れていなかったのか。どちらにせよ、そうさせたのはわたしだ。わたしには彼に、謝らなければならない義務がある。全てを説明する責任がある。
 信じてくれとは言わない。ただ、これだけは言わせて欲しい。
 本当に、悪気はなかった。
 わたしはただ、一人でいる丸山と話がしたかっただけなのだ。クラスに溶け込めていなかった丸山に、周囲と接する機会を作りたかっただけなのだ。今ならそれが、幼い傲慢だということはわかる。だが当時のわたしは、それが確たる正義であると信じていた。丸山も嬉しいに違いないと思い込んでいた。
 担任に叱られた丸山には、次の休み時間に声を掛けるつもりだった。本当だ。でもできなかった。
 彼のあの、丸く縮こまった背中を見たら、声を掛けられなくなった。いたたまれなくなったのではない。机にアメを入れたのはわたしだと告白する勇気が自分にないことに、気づかされたのだ。
 チャンスなら今までに何度もあった。わたしはそれら全てをフイにしてきた。原因は明白だ。わたしが臆病だからだ。
 そしてまた、あの時と同じ、丸山の後ろの席になった。今度こそは、という思いの勢いに任せ、彼の机にアメを置いたのだった。
 臆病を克服するために、様々な訓練を積んできた。生徒会長に立候補したのだって、極端にいえばその一環だ。だが、全校生徒の前では原稿を用意しなくても言葉が出てきたのに、目の前の一人に向けてはたった一言が出てこない。
 目の前を分厚い壁に塞がれている気分だ。
 ぶっ壊したい。
 爆弾か何かで、木っ端みじんに。この〈臆病〉でできた壁を――

   ◆

 あの時のアメも、梶井さんだったのだろうか。
 一体何のために? 太陽である彼女が、地を這う虫の僕にどうしてアメなんかを?
 陥れるため。笑い物にするため。
 だとすれば今回は?
 あの時を思い出せとでもいうことか? そんな無駄で陰湿なことを梶井さんがするだろうか? 少なくとも、彼女に何か得があるようには思えない。
 だったら何で?
 前提が間違っているのだろうか。
 たとえば、あの時机に入っていたアメは、誰かの〈悪意〉ではなく〈善意〉によるものだったとか。
 いや。
 いやいやいやいやいや。
 いくら何でも楽観的すぎる。そうやって心を開いて、何度も裏切られてきたじゃないか。人が無条件に好意を向けてくれると思うな。少なくとも僕は、その恩恵に与れる人間じゃない。
 一切の希望を捨てよ。
 希望を捨てよ。

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