それからは家を空けるためというよりも森さんに会うために公園に行くようになった。同じテーブルの斜向かいに腰掛けて、森さんはスケッチブックを開き、私は教科書とノートを開いた。
森さんは私が帰りたがらない理由を聞かない。宿題でわからないところがあると教えてくれたり、描いた絵を見せてくれたりした。
夜が更けると帰るように促される。森さんはフリーターで、たいていはコンビニの深夜シフトに入っていた。私たちはバイト先のコンビニまで一緒に歩く。
コンビニの前で森さんは必ず「ちゃんと帰るんだよ」と言う。私はいつも素直に従って帰宅したが、それでも中学生が出歩くような時間はとうに過ぎていた。
私の帰りが遅くなってからというもの、父の態度が変わった。思春期の女の子の扱いに困っているのか、以前のように話しかけてくることが少なくなった。それに伴って母は上機嫌で、私への態度は優しく穏やかにもどっていった。
幼いころのように鏡台に向かい、髪を梳いてくれたりもする。ところが、あるとき、ふいにその手が止まった。鏡越しに目が合うと、母ははっとしたように笑顔を張り付け、再び手を動かした。
けれども私は母が手を止めた理由に気がついてしまった。鏡に映る私たちは、以前とは違っていた。母の髪に白髪が一筋光っていた。
私の視線に気づいた母は、鼻にしわを寄せたかと思うと髪を梳く手をひねった。
「痛っ」
「なによ、大きな声を出して。ちょっと髪が絡んだだけじゃない。そうやってあの人の気をひくつもりなんでしょう」
父に聞こえないように抑えた声で責め立てながらも私の髪を梳き続ける。私はただ、ブチブチとむしられていく痛みに耐えるしかなかった。
「どうしたの、それ」
私の薄くなった後頭部を見て、森さんは自分が痛むみたいに眉をひそめた。
私は初めて母のことを話した。信じてもらえないかもしれないと覚悟していたけど、森さんは話を遮ることなく最後まで聞き終えると、一言「ひどいな」と言った。それから、「かわいそうに」と私の頭を撫でようと伸ばした手を触れる直前で止めた。
森さんはけして私に触れようとはしない。隣に座って肘が触れそうになるだけで距離をとる。私のことについて問いかけてきたのもこれが初めてだった。
母のように触れてこないし、父のように話しかけてもこないけれど、とても大切に接してくれているのがわかった。だから思い切って言ってみた。
「お願いがあるの」
「なに?」
「森さんちに泊めてくれない?」
「それは……」
「もしかして家族と暮らしてる?」
「いや。一人暮らしだけど」
「それなら」
「一人暮らしだからこそまずいんじゃないかな。雪子ちゃんはまだ中学生でしょ」
「森さんは私がいやがることなんてしないでしょ?」
「それはもちろんだよ!」