小説

『小さな世界の姫と太郎』春野萌(『浦島太郎』『かぐや姫』)

 涼しい部屋に流れ込む熱風はとても心地よかった。
「僕はちょっとひねくれているんだよ」
月野さんがポツリと言う。彼が自分のことを話すのは初めてだった。
「どうしてそう思うんですか?」
「…馬鹿にするつもりはないんだけどね、幼稚すぎる同級生と過ごすことが息苦しくてたまらないんだ」
 校庭では生徒たちがサッカーやドッジボールなどで盛り上っている。月野さんがあの中で混ざってはしゃぐ姿を想像しようとしたけれどうまくいかなかった。
「自慢話ばかりする友達にもうんざりしたし、誰がかわいいとかそんなのもくだらなく思えた。媚びるように話す女子は同性の前だと豹変することを知っていたし、平気で嘘をついて近づいてくるやつもいた。その中にいなければいけないことが気持ち悪くなってついに担任に相談したよ」
「そうしたら『思春期で誰もが通る道だから安心していいよ』って。ああ、分からない人なんだなと思った。だからヤケになって言ったんだ。『申し訳ないけれど僕は教室にいる意義を感じないし冷めきってしまっている。僕の心を動かすものを持ってきてくれるまで教室には行きませんよ』って」
 月野さんは初めから諦めきっていた。だから先生たちがどんなものを持ってこようと答えは決まっていたのだ。最初に相談した時に、彼の言葉を理解するまでじっくり聞いて寄り添うことができていたなら少しだけ今が変わっていたのかもしれない。
「ずいぶん尖ってることは自分でも自覚しているんだけどね」
 どうしようもないんだよ、と笑う月野さんはとてもはかなく見えた。

 夏休みが明けて特別室へ行くと月野さんの姿はなかった。両親の事情で転校したのだと保健室の先生が教えてくれた。
頭を強く打たれたような衝撃に目がちかちかした。広くなった特別室での一日はとても長くて、帰宅して横になった瞬間涙があふれた。私にとって月野さんの存在がとても大きくなっていたのだ。
 涙をぬぐってカバンから手紙を取り出した。最後の日、月野さんが私に渡すよう頼んだのだという。もう何度読んだか分からない手紙をもう一度読んで、やっぱり涙があふれた。

『浦さんへ 学校という場が今は世界の全てかもしれないけど、外にはもっと広い世界があると思います。本当は僕も今すぐ外へ出て世間を気にせず身を任せて生きられればいいけど、臆病者だから徐々に世界を知っていく必要がありそうです。浦さんも浦さんの生きやすい世界を見つけられることを願っています』

***

 それから5年後。
 私は大学生になっていた。当初ホームシックで落ち込んでいたけれど今では一人暮らしにもすっかり慣れて、レポートやサークル活動で忙しい大学生活を楽しんでいる。
 ふと昔使っていたスマホを取り出す。機種変してからずっと机の奥に入れていたけれど、引っ越しの時に見つけて、懐かしさのあまりこちらへ持ってきていたのだ。もちろんバッテリーもとっくに切れていたので、充電器につないでみる。
「縞子、何してるの?」
 ワンルームの賃貸では声がよく響いた。振り返ると遊びに来ていた彼が両手にマグカップを持って立っている。
「玉手箱を開けようと思って」
「うわぁ、懐かしい。結局開けずに残しておいたんだ」
 君も案外負けず嫌いだよねと笑う彼も、自分はひねくれていると嘆いていた頃からずいぶんと丸くなって見えた。
 玉手箱を開くと、呆れるくらい幼稚な内容だった。こんなものに振り回されていたのかと思わず苦笑する。当時の自分にとって愛都との出来事は重荷だったけれど、今振り返れば一瞬過ぎる出来事でかすんでいた。憎い相手も過ぎ去ってしまえばただの過去の人で、大切にしてきたものだけが今も変わらず輝いている。
 2人であの頃のように一緒に画面を眺めていると、無性に懐かしさがこみ上げてきた。
「黙っていなくなったこと、まだ根に持っていますからね」
 と隣の彼に言うと
「若気の至りだから許して」
 と申し訳なさそうに笑った。

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