小説

『古びたゴール』大村恭子(『わがままな巨人』)

 私はバスケットゴールに近づき、それを見上げた。ずっと、袋を被せて目につかないようにしていたのに、恐らくそれも台風によってどこかに飛ばされてしまったのだろう。
 気を取り直して、私はいったん家の中に入ると、新聞紙と黒いゴミ袋、そしてダイニングの椅子を持って外に出る。
 新聞紙をバスケットゴール下の地面に広げると、その上に椅子を置いた。脚立なんて気の利いたものはないから、その上にあがってゴミ袋をかけようとする。が、どうにも届かない。
 昔は軽々と届いていたのに、今では腰が曲がってギリギリ指先がつくかつかないか。袋を被せる事なんてできなかった。
 断念した私は結局、紙にマジックで「これで遊ぶな」と書いて、ゴールの柱にガムテープで貼り付けた。
 柵の方もなんとかして直そうとしたが、泥だらけの柵を持ち上げたはいいものの、どう固定していいか分からない。仕方なく、左右の植木にスズランテープをくくりつけて、そこに「勝手に入るな」という紙を貼付けた。
 本来なら業者を呼んで柵を直して貰ったり、ゴールを撤去したりするべきなのかもしれないが、今後何年生きてここに住むのかも分からないと思うと、そんな所に手間や金をかけるのはもったいないような気がした。

 家に帰って椅子を元に戻すと、体に染みついたいつもの段取りで手を洗い、水を飲んで、換気扇のスイッチ上にあるたばこをつかむ。
 一本取り出そうとして、手が止まった。一瞬、医者の言葉が頭を掠めたが、構わず火をつける。久しぶりのたばこはうまかった。

 それから1ヶ月程の間、同じ夢をよく見るようになった。
 ダン、ダン……
 それは、いつもそんな音で始まる。気づくと私の庭で、小学生くらいの孫の幸哉(ゆきや)が、バスケットボールをしている姿が見えるのだ。
「じいちゃん、見て!」
 幸哉がシュートを決めようとする。でも、何度やってもうまく入らない。
「くっそ、なんでできないんだろう」
 淋しげに肩を落とす幸哉に私は思わず近付く。が、指が触れる前に幸哉はふっと消えてしまう。
 残ったのは、庭にある古びたゴールだけ。いつもそこで夢は終わる。

 起きて現実に戻ると、そこは自分の寝室があるばかりだ。それを見る度に、私は底知れない焦燥感を感じた。
 なんで、今更、と私は思う。長い間ここで一人で暮らしていて、ほとんど孤独なんて感じた事はなかった。それなのに、その夢を見る度に私は、底知れぬほど深い孤独感に、身がすくむようになってしまった。

 庭にあるバスケットゴール。あれは14年前に、小学生だった孫の幸哉へのプレゼントで買ったものだった。

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