小説

『古びたゴール』大村恭子(『わがままな巨人』)

 近所のスーパーで倒れてから2週間が経って、やっと退院の日がやってきた。
 病院では、心筋梗塞と言われた。難しい事は分からないが、長年の酒とたばこの習慣が祟ったらしい。
「特にたばこ。死にたくなかったら、すぐにでもやめないと」
 と医者は言った。
 たばこを我慢するくらいなら、死んだって構わないのに。そう言ってやりたかったが、こらえて何も言わなかった。年をとって妻と子供に先立たれて一人になった今、私が死んだって誰も気に病む人は居ないだろう。もしかしたら、気づく人すら居ないかもしれない。
 たばこと酒と寝る事だけが私の生きる意味なのに、この医者は何もわかっていない、と心の中で悪態をついた。

 そんな事を考えながら、私は久しぶりの我が家へ向かうタクシーの窓から、外の景色を眺めた。
 見慣れた住宅街は、入院中におきた台風のせいか、あちこちの家の植木が倒れたり、鉢植えがひっくり返ったりしたままになっている。
 自分の家は大丈夫だろうかと、私はだんだんと不安が増してきた。

 程なくして家に到着すると、タクシーを降りて入院中に使った荷物を下ろす。
 病院で買った歯ブラシだのタオルだの、どうせもう使わないようなものをまとめた大きなカバンを持って、住み慣れた我が家へと歩みを進める。
 玄関は予想していた通り、台風のせいで泥だらけになっている。掃除するのも骨が折れるな、と思いながら自宅の鍵を探していた時だった。
 ダン、ダン……
 すぐ近くで、ボールの弾む軽快な音が聞こえた。

 私は手早く鍵を開けて荷物を玄関に置くと、家の裏側に回った。するとそこでは、知らない小学生が4、5人、庭にある古い家庭用バスケットゴール目掛けてボールを投げて遊んでいた。
「何してんだ、お前たち」
 私がそう言うと、全員がいっせいに振り向き、顔を真っ青にさせた。
「人だ!」
「やばい、逃げるぞ」
 子供たちはそう言うと、一目散に駆け出していった。私は茫然とその場に取り残された。
 何が何だか分からない、という状態から、ふつふつと怒りの感情が沸いてくる。なんて躾をされているんだ、あの子たちは。こんなのは不法侵入じゃないか。
 改めて庭を見渡すと、玄関にあったはずの柵がない。と思ったら、壊れて端の方に泥だらけになって倒れていた。手入れをしていたはずの植木や花壇は荒れはて、枯れてしまったり、ほうぼうに倒れて泥を被ってしまったりした。台風は想像よりも酷かったようだった。

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