小説

『草の窓』柿沼雅美(『草の中』)

 公園を縦断するように子供たちの遊んでいる間を割って歩いていく。公園の反対側に向かっているようだった。
 子供たちの様子を見ていると、彼に声をかけるのを忘れてしまう。最近の子はこんな服装なのか、とか、こんな髪型なのか、とか、自分が親になったらどんなお店で何を買ってあげるんだろうとか、そんなことに気を取られてしまう。
 公園のなかの外れのほうに着くと、彼がボディバッグからシートを取り出した。まさかここでピクニックでもするのか、やめてくれよ、と一瞬思ったが、寒いのにごめんという彼の顔を見たら、いいよ、と返していた。
 同じ公園でもこう広いと景色が違う。子供たちの代わりに雀がちゅんちゅん集まっているし、なぜか松が一本だけ生えている。他の木々と違って、松は一本でも存在感が強い。
 「樹になりたいなぁ」
 ぽつりとそういう彼に、心の中で、そんなバカなことは夢の中で叶えてくれ!と思った。
 特にこれといっておもしろいこともなく、どんな仕事してるの?という話題の先も続かず、なんで俺はここにいるのだろうと感じはじめていた。来た時よりも明らかに風は冷たくなっていて、シートの上でお尻がぬくもりを探している。
 一体いつまでこうしているのだろう、と思っていると、彼が急に、上半身を上へ伸ばし、窓が見えるだろう?と言った。
 うん、と返事はしてみたものの、人が立ち上がったなんて気がつかなかった。ただ彼の言うように、マンションの左端の窓にはすらっとした人が立っていた。
 しかし、全く動かない。よくよく見てみると、それは女性の服を着た人形だった。ピンクっぽいチェック模様のようなパジャマを着せられている。見てはいけないものを見てしまったようで気が引けたが、そういうものこそ見たくなってしまうのが不思議だ。
 髪の毛は肩くらいまでで、さすがに表情までは分からないけれど、きちんとした輪郭に化粧が施されているようだ。雑な感じはせず、なんなら本物っぽい。ネットで一時期話題になった本物女性そっくりのラブドールの可能性が高いと思った。
 「あそこにユウちゃんが寝ていたんだよ」
 ぎょっとした。冗談だろ、あれが?あれがユウちゃん?と言いたくなったが、彼は至極真面目な表情で落ち込んでいる。
 何をどう言ってあげたらいいのか、俺は絶句した。
 人間かもしれない、あれがユウちゃん、あれはユウちゃん、と頭のなかで繰り返しながら、何度も窓を見つめた。そのうち、ドールは倒れ込んだ。
 ほんとなのか、あそこにベッドがあるのか、あそこに寝ていたのか。ということはあの部屋はなんだ?店か?売り場か?いや売り場にベッドはないだろう?いやいや客が試すのにベッドがあったほうが使い方が分かりやすいかもしれない。ということはあれか、彼はあの部屋に通ってラブドールを物色して…あ、ユウちゃんか、ユウちゃんを物色して…いや、やっぱりおかしいな。え、じゃあ彼が初めて付き合って初めてセックスして初めてフラれたのもラブドール?ええええええ‥‥
 ひいた。俺はドン引きした。その引き波は、学生時代のすごかった彼も、大人になってからの上品な彼も、すべてを洗いざらう勢いだった。

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