手を動かし続ける。カツラの髪の毛は均一で、かたさがあった。晶子さんはそのまま、私に髪を預けてくれていた。乾かし終えてドライヤーを止めると、すっと病室は静まり、無言になっていたことに気が付いた。
晶子さんは振り返ると、真っ直ぐ私に微笑みかけた。光が差し込むように、何だか透視されているようで、思わず目が泳ぐ。晶子さんは、ゆっくりと口を開いた。
「私、もともと美容師でね。ブロー、とっても上手ね。ありがとう」
申し訳ないことをした人に、お礼を言われるのは初めてで、困ってしまった。どういたしましても謙遜の言葉も上手く出てこない。
「……それでね、良かったらこれ貰ってくれないかしら」
晶子さんはベッドの横にあるキャビネットから艶やかな黒いヘアブラシを取り出した。
「これ、私が若い時に買ったヘアブラシなの。とっても良いブラシよ。職人さんが手作りしてくれる老舗もので、80歳のおばあさんがここのヘアブラシ一本を何十年も愛用したって話もあるのよ。お気に入りだったから、病院に持ってきたんだけど、もう私には必要ないし、あなたに使って欲しいわ」
「そんなの、受け取れません」
高価なものだと、小学生の私でもわかった。安易に人からもらっていいものではない。
「使って欲しいわ。一生モノのヘアブラシよ。髪は女の命だもの」
女の命だもの。この一言でわかった。ばれている。この人は、男の私が、女の子として髪を伸ばしていることに、気づいている。
「でも……」
「お願い。貰って。あなたの髪の毛とっても綺麗。丁寧に、伸ばしてきたのよね。きっと大事に使ってくれるでしょ」
さっきまでおばあちゃんとお喋りしていたはずの絹代は、黙って私を見守っていた。おばあちゃんは「いいじゃない、貰っときなさい」と笑っている。優しいまなざしがたくさん、私を包み込んでくれている。
「ありがとうございます」
手に取ったそのヘアブラシは重みがあって、すっと私の手のひらに収まった。艶やかで滑らかで、凛としていて、美しいヘアブラシ。包み込むように、胸に握りしめた。
看護師さんが束ねてくれたお団子ヘアのまま、晶子さんにもらったヘアブラシをリュックに入れて、病院を出た。絹代と二人、沈黙を背負って歩く川沿いの道は、じゃりじゃりと鳴いた。
「葵」
「なに、絹代」
「私、知ってたよ」
「何が」
「言いたくないなら、まだ言わなくても良いけど」
「うん」