小説

『時は立花のように』佐倉華月(『三四郎』)

 美禰子は何気に聞いたことだろうが、広田にはついに十二歳の少女にまでという思いが起こった。
「しないことはない。しかし、しようとも思わないのだよ」
 少女相手にごちゃごちゃと言う気もなかった。これが率直に今を表した言葉だった。
「いつかは、結婚しなければならないのでしょう」
「どうだろうね。僕は全くの一人身で、誰に迷惑をかけるということもないから、このままかもしれない」
「御両親は」
「ないよ」
「私もないです」
 美禰子はあまりにもさらりと言った。
「それでも、きっと結婚しなければならないですね」
「嫌なのかい」
 訊ねると美禰子はいいえ、と首を振った。
「ただ、いきたいところがよいのです」
 広田は美禰子へ視線を落とした。
彼女も、ふいと顔を上げる。
「これはわがままなのでしょうか」
 そうと言えば、そうなのかもしれない。しかし広田は、そう思う彼女の気持ちを否定する気には到底なれなかった。
 答えを返さないうちに、美禰子はまた前を向いた。
「それでも、そうしたいのです」
 その彼女の横顔からは、単なる希望を言っているようには感じられなかった。それでも、いつかは打ち消されてしまうかもしれない儚さ。
 その強い儚さに、広田は初めて、あの少女の面影を見た。
 十二年前、妙に大人びた表情をしていた少女。思えば彼女も、こんな真っ直ぐな目をしていたのかもしれない。だから、あの頃の自分には大人びて感じたのかもしれないと。
 その少女も、あのとき何かを見つめていたのだろうか。
 美禰子はそれ以上何も言わなかった。
 このままずっと、歩いていけたらいい。広田はふと、そんなことを思った。
 東の空から夜が迫る。あと少しすれば、日が沈む。
 気付いたときには、二人はもう帰途についていた。

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