小説

『時は立花のように』佐倉華月(『三四郎』)

 頼るあてを探してここへ辿り着いたのだろう。広田はその日のうちに、よろしいとの意を示した返事を送った。
 二人が広田の元を訪れたのは、それから三日後のことだった。
「妹をよろしくお願いします」
 そう言って丁寧に頭を下げた恭助は、兄よりもしっかりとして見えた。
 このとき美禰子も、恭助にならって頭を下げた。言葉は発しなかった。
「終わったらまた、迎えに来るのだろう」
 広田が訊ねると、恭助は「はい」と歯切れのよい返事をした。
 そうして恭助は大学へ向かった。
 置いていかれた妹は、何も言わず、真っ直ぐな目で見送っていた。

 
 何をしていいのかわからないようだった。
 美禰子は広田の家でいる時間を、とにかく静かに過ごしていた。本棚から溢れたためにそこらに積まれている本を、手当たりしだいに読んでいるようだった。彼女には難しいであろう内容のものばかりだった。
「そんなものばかり読んでいても暇だろう」
 そう訊ねてみても、美禰子はいいえ、と答えるばかりだった。
 肌の色は狐色、凛とした横顔を見せる美禰子に、十年ほど前に出会ったあの少女の面影を見ることはなかった。雪のような白い肌、儚い様子の彼女とは、似ても似つかなかった。
 美禰子がやって来るのは週四日ほどだったが、いつの日にも兄が迎えに来たときに、ほんの少しだけほっとしたような表情を見せた。
 それが、印象的だった。
「広田……さんは、お仕事をなさらないのですか」
 それが、美禰子から受けた最初の質問だった。
「これでも一応高校の先生なのだがね。英語しか教えていないものだから、こう、時間が多く空いてしまうのだよ」
 訊いておきながら、美禰子は何も言わなかった。しかし顔は、素直に意外だと言っている。
「そうだ、こう本を読んでばかりでもつまらんだろう。どうだい、英語などやってみる気は」
「教えてくださるのですか」
 美禰子が本から目を離して顔を上げた。思ったよりも反応が良いことに、かえって広田は驚いた。
「ああ、もちろんだとも。やってみるかい」
 美禰子は本を床へ置いた。それから「よろしくお願いします」と丁寧に頭を下げた。広田のほうが恐縮してしまいそうだった。
 こうして広田は、美禰子に英語を教えることとなった。
 十二歳の少女に英語を教えるというのは何とも新鮮だったが、何より彼女の覚えの早さには驚くものがあった。
 初めて見たものを、純粋に楽しんでいるようでもあった。そうだとしても、高校の生徒ではこうは真剣に聞いてなどくれない。

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