小説

『時は立花のように』佐倉華月(『三四郎』)

 彼女が来るようになって二週間が過ぎたが、夕刻前には恭助が迎えに来るということもあり、彼らが家から出ることはなかった。
 しかしこの日は違った。
 補講があるからいつもよりも迎えが遅くなると告げて、恭助は美禰子を預けていった。
 よく会話をするようになったとはいうものの、本と英語で過ごすには長い時間だった。
「たまには外へ出てみるかい」
 美禰子はだいぶ広田の家での生活にも慣れ、転がりながら本のページをぱらぱらと捲っていたところだった。
「連れてってくださるのですか」
「たまには良いだろう」
 美禰子はすっと立ち上がり、本をもとあったところへ戻した。そういうところは、きちんとしている。
 二人は家を出ると小道を抜け、通りへ出た。
 そろそろ日が落ち始める時間であったが、まだ人通りはあった。
「先生、少し早すぎます」
「おや、そうかい。それはすまなかった」
 子供と並んで歩いたことなどない広田はつい、いつもの調子で歩いてしまう。
 途中、小間物屋を見つけて立ち寄った。
 広田は女の欲しいものなどまるでわからない。何か欲しい物でもあったかと訊ねると、美禰子は欲しいものばかりで困りますと答えた。
 店を出た後は、散歩と称してそこらをぶらぶらと歩いた。
 夏へ近づき始めているとはいえ、まだ日が沈むのは早い。
 空はもう、紅い太陽に染められている。
「高校はどういうところなのです」
「そうだなあ、どうっていうところでもないな」
 美禰子はよくわからないというように首を傾げた。
「言うなら、そう、勉強をしようとしているところだよ」
「本当にはしていないのですか」
「している者はいるさ。しかしほとんどは、勉強しようとしているだけで終わっている。だから、ちゃんと身にもつかない。教室という狭く厳しい空間の中だけで、ちゃんと受けていても仕方がないわけだ。帰ってからもそれをしなければ」
 話は美禰子にしていたが、広田は彼女のほうを向いてはいなかった。真っ直ぐに前を向いて歩いたままだった。
「しかし実際は、授業でさえも受けているふりをしている者がいるのだから、始末に置けない。だからこちらもわかってはいても、まあ自身の問題だからと放っておく。そんなところなのだね」
 全くの自論だったが、あながち的はずれでもないだろうと広田は思う。
「それでは先生は、放っておかれたのですか」
 これには広田も、ちょっとばかり虚をつかれた。
「そう思うかね」
「思うから言ったのです」
 美禰子は少し笑いながら言った。
 話しているうちに、二人は川沿いの道へ出た。夕空を映し、橙の光を反射してちかちかと流れている。
 川は夕刻のこのときが一番美しい。
 広田はぼんやりと川を眺めて歩いた。隣の美禰子も同じだった。
「先生は、結婚なさらないのですか」

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