小説

『彼女が求めた赤』斉藤高谷(『地獄変』)

 そんな彼女が息抜きに、というか片手間で描いた二つの作品が、県の教育委員会が主催するコンクールでW受賞を果たした。同じ人物の描いた複数の作品が同時に最優秀賞を獲るなど、前代未聞のことだった。まず地元の新聞が取材に来て、それから美術の専門誌、その後、ネット界隈が彼女の中学時代の勇名と結びつけた。最後にそれをテレビ局が嗅ぎつけ、夕方の情報番組の特集に彼女を取材したいと言ってきた。
 物には順序がある。俺はまず、この話を校長へ上げた。校長は「我が校のアピールになりますね」と取材を快諾した。こうなっては〈断る〉という選択肢は綺麗に消え去り、俺がヨシノに話した時には本人の承諾確認ではなく事後報告になっていた。「お詫びとして脱いでください」ぐらい言われることを覚悟していたが(脱ぐ覚悟も決めていた)、ヨシノは意外にも「わかりました」と言っただけだった。
 取材は一週間に渡って行われた。毎日放課後になると、丸めた大学ノートを持った女とビデオカメラを手にした男が美術室に現れた。言わずもがな、前者はディレクターで、後者はカメラマンとのことだった。
 ヨシノはディレクターにもカメラにも構うことなく、ひたすら絵具を混ぜ続けた。薔薇を塗るための赤だ。絵を描いている姿ならまだしも、それは地味な光景だった。時々ディレクターから何か訊かれても、ヨシノは「はあ」とか「まあ」ぐらいの生返事しかしなかった。それが月曜から木曜まで続いた。火曜と水曜の映像が入れ替わっても誰も気付かぬほど、代わり映えのない日々だった。結局そのまま金曜がやってきて、撮影は終わった。

 放送に先立って、出来上がった映像が俺の元に送られてきた。俺はそれを、ヨシノと二人で試写した。可能かどうかはさておき、あまりの内容だったら放送を取りやめてもらうつもりでいた。
 映像の中で、ヨシノは常にスケッチブックを抱えて歩き、蟻の行列を見つけてはそれを長時間眺めていた。それから突然、空を見上げたかと思うと、一心不乱に雲を描き写していた。最後はムシャクシャしたように髪を掻きむしり、紙をむしり取り、丸めて後ろへ放り投げるのだった。
 これら一連の流れはディレクター氏の〈演出〉である。撮影最終日である金曜の別れ際、取れ高がほぼないに等しい彼女が泪より鼻水を多く流しながら泣きついてきたのだ。俺がヨシノを説得し、件のシーンの撮影と相成った。撮っている時はおにぎりを持たされないだけマシかと思っていたが、なまじそれらしい画と音楽とナレーションを付けられると、見ようによっては本当にヨシノがこんなことをしている人間に見えなくもなかった。
「よく撮れているのではないでしょうか」
 そう言ってヨシノは視聴覚室を出て行った。後で美術室を覗いてみると、誰もいない教室で一人、彼女だけがカンバスに向かっていた。またパレットで絵具を混ぜているようだった。
「放送は中止してもらおう」俺はヨシノの背中に言った。
「先生がそうしたいのならご自由に」

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