あそこで彼に見せたかったもの。それは、あのベンチの側に咲いている一輪の花。少し前に偶然発見したその花に惹かれ、ベンチは花を見るための私の特等席となった。雨が降れば花の根の周りの土を固めてあげたし、猫に食べられそうになっていれば助けてあげた。失恋した時などは、花に愚痴を吐いたりした。
冷静になって考える。彼はそのことを知っていたのか? それでからかっているのだろうか。じゃあ、あの時の表情は? 反応は?
ハッとして我に返りそして気づく。目の前に今までいたはずの蓮がいない。私は向こう側に回った。椅子の上を見て私は言葉を失った。
「嘘でしょ……」
そこにあったのはあの花だった。花弁は枯れかけ変色しているが、確かにベンチの花だった。
私がその花に恐る恐る触れようとすると、花がうねうねと形を変え巨大化し、あっという間にそれは蓮へと姿を変えた。唖然とする私をよそに、蓮は訥々と喋りだした。
「最初は、本当にいつか恩返しをしたいと思っていただけだった。茜には本当にお世話になったから。でも、風に吹かれるだけの退屈な毎日を変えてくれた茜に対する感情はもっと大きくなっていった。その願いが通じたのか俺は気が付けばこんな姿になっていた」
この場に適切な言葉が見当たらない私は、ただただ立ち尽くすことしかできない。そんな私を見かねたのか蓮の口調と顔が一気に柔らかくなった。
「ごめんね。全部嘘。住んでる場所も大学も。この姿もね」
ちなみに、と蓮は笑った。「あのベンチは茜だけの特等席じゃないよ。この姿は茜の他にもう一人よくベンチに腰かけていた人のもの」
「じゃあ、依が街で見たのって……」やっと声が出る。
「多分それは本物の蓮君だ。茜と同じでよく失恋した話を聞かせてくれた。彼は良い人だよ」
ぐちゃぐちゃになった頭で私は考える。セックスをしなかったのもベンチを知っているのも彼から自然の香りがするのも、全部蓮が花だったからなの……?
蓮が近づいてきて、私の頬に手を添えた。「俺は茜を好きになってしまった」
蓮の声は震えていて、よく見ると頬を涙が伝っていた。「花のくせに人間の茜に恋をしてごめん」
その表情は紛れもなく私が好きになった蓮の姿だった。私は何といっていいのかわからなかった。
「……でももう終わり」
手を放して蓮は少しだけ自嘲気味に笑う。「さっきの俺の姿を見ただろ? 人間に恋をした罰かわからないけど、俺はもうすぐ枯れるみたいだ」
「そんな……」
蓮は私に背を向けた。そして玄関に向かって歩き出した。
ああ。頭は混乱しているはずなのにこれから起こることがわかったし、それを嫌だと思う自分がいた。
「待って……」
玄関の取っ手に蓮が手をかける。