小説

『恋花-koibanaー』高橋小唄(『鶴の恩返し』)

 店の入り口で彼は一人佇んでいた。風を浴びている彼は、帰るべき籠に帰った鳥のようだった。
 目があったものだから何か言わなければと思った私は、「酔い覚ましですか?」と訊いた。そしてすぐに、彼はお酒を飲んでいないのだからそれは的外れな質問だと後悔した。
 彼は少ししてから言った。
「あなたがいなかったから」
 彼の返答は、少なくとも私の的には当たったのだと思う。そうでなければ、唐突にそんなことを言われて素直に嬉しかった私の気持ちをどう説明すればいいだろうか。
「そういうのいろんな人に言うんですか?」と私は言った。
「あなたにしか言いません」と彼が言った。
 なぜか、本当にそうだろうなと彼を信じてしまう説得力があった。
 周囲は誰も私達のことなど気に留めていないだろう。そして、私達も周囲のことなど気に留めていないのだ。
「……抜けちゃいます?」
 私が言うと彼は頷いた。
 名前を訊くと、彼は「蓮」と答えた。
 そうして私は、彼の匂いを独り占めしたのだ。

 隣町の大学に実家から通っているという蓮は、私と同じ四年生で就活に勤しんでいるらしい。にもかかわらず、合鍵を渡すと、遅くなる私の帰りを料理を作って待っていてくれたり、日中に家事の手伝いをしてくれたり、私の就活の悩みや愚痴を受け止めてくれたり随分と私は蓮に救われた。蓮の匂いに包まれると落ち着いたし、決して男運が良かったとは言えないニ十二年間の人生で最愛の人に出会えた感触があった。だから、付き合って二週間たっているのにセックスをしなかったり、蓮が自分のことをほとんど話さなかったり、初デートに散歩を選んだりすることだって私は何とも思わなかったし、むしろそれを楽しんでいた。   

 その日も、二人でアパートの周辺を散歩していて、なんだか老夫婦みたいだよねと二人で笑い合っていた。
「ところで就活はどう?」と歩きながら私は訊いた。
「ぼちぼちかな」
「そう」
 いつも通り蓮は多くは語らない。だから私はそれ以上は何も訊かない。それでも、就活中にしては頻繁に私の家を訪ねてきてくれることくらいは訊いてもいいだろうか、と思う。
「いいところだよね」と辺りを見回しながら蓮が言ったので、
「今度は蓮の家に行ってみたいんだけど」と私は言った。 
「俺の家は……そうだね。機会があったら」
「うん。だね」
 私は蓮の腕に自分の腕を絡めた。そして頭を肩のあたりにくっつける。離れていったりしないように。
「あ」

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