小説

『恋花-koibanaー』高橋小唄(『鶴の恩返し』)

 その青年は森の匂いがした。
 どこか懐かしい雰囲気は、煙草の蔓延する居酒屋には場違いすぎて彼だけが別空間にいるみたいだった。
 私はその青年が妙に気になって、トイレに立った時に依(より)に訊いた。
「ねえ、あの小鳥と話ができそうな彼もS大学?」
「はあ? 小鳥?」
 と言った依は、鏡に向かって鼻の下を伸ばしたり目をひん剥いたりしながら化粧を直している。
「いたじゃん。不思議な雰囲気の」
 私が言うと依は、ああ、と得心がいったような声を出した。「最初からそう言いなよ。小鳥とか言われてもわからんわ」
「ごめ」
「茜遅れて来たもんね。なんか男の方で急に一人これなくなったんだって。そしたら一人で飲んでた彼が参加させてって言ってきたらしいよ」
「ほんとに」
「の割には全然盛り上がってないけどね。変人なんじゃない。気になるの?」
「まあ……いろんな意味で」
 鏡の中の依と目が合う。依は鏡にめり込むのではないかというほどしていた化粧をやめ、私を見た。そして、「男の前ではそういう話し方止めなよ」と子供を諭すように言った。私は頷いた。
「まっ、変人同士ならうまくいくかもねー」
依は最後にそう言ってトイレを後にした。
 一人残った私は鏡に向き合う。鏡に映った私は依に比べると地味だし垢ぬけない。それにあまり楽しそうじゃない。
 わかってる。私みたいな小賢しいというか、素直にものを発せない女はこういう場で男には好かれない。
 だからというわけではないがこういう場は苦手だ。二週間前に彼氏と別れた私を気遣った依に無理矢理誘われなければ、合コンなどは絶対に私には縁のない場所だと思っている。
 だからこそ私は彼が気になったのだと思う。少しだけ自分と近いものを感じたのだ。
 彼は口数も少なく、お酒も飲まなかった。間違って居酒屋に入った高校生みたいなその姿は、はっきり言って浮いていた(、、、、、)。でも、時折こちらを見て小さく会釈をしたり、途切れ途切れだけど私に話しかけてくれたりしているうちに、もしかしたら私に気があるんじゃないだろうか、珍しい人だな、やっぱり変わってるな、でもこの人だったらいいかもしれないと不思議と思ってしまったのだ。
 トイレを出て、サルがいると言っても誰も疑わないだろう飲みの席に戻ろうとして私は足を止めた。彼が店から一人出ようとしているのを見つけたからだ。私の足は彼の元へ向かった。それはごくごく自然なことに思えた。

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