小説

『桃太郎に生まれて』久保田彬穂(『桃太郎』)

 あの時の私は、人生で一番輝いていたかもしれない。女子のリーダー。みんなが私をかわいいと言い、私にシールやら鉛筆やらを献上し、私のそばにいたがった。
 名前の通り、姫のような扱いを受けていた私だったけど、なんだか物足りなかった。私が言うこと全てを肯定してくる人間たちがつまらなく思えたのかもしれない。
 桃太郎は私を拒んだ。たまに鬼のような目で睨みつけてくるし、私があげたきび団子も投げ返してきた。その反応がやっぱり面白くて、どんどんいじめはエスカレートしていった。先生たちは気づいていたと思うけど、桃太郎が何も言わないのでなかったことにしていた。
 気づくと、私の周りの人間は皆怯えていた。はたから見たら、私も桃太郎も変わらなかったのかもしれない。孤独な人間。私はもう、桃太郎をいじめることでしかそこにいられなかった。
 中学は誰も知り合いがいないところにしようと、私立を受けた。学校生活は順調だった。
 初めて会う人たちはやっぱり私をかわいいと言って、何もしなくても周りについてきた。これでいい。もう同じ過ちは繰り返さない。クラスの地味な奴になんて関わらない。明るい人気者を演じていた。
 事件が起こったのは中学2年の夏。親が離婚して苗字が変わった。それだけでも周りに言うのは気まずいのに、その苗字は最悪だった。

 
 彼女の苗字を聞いて驚いた。
 かぐや。輝夜姫乃。かぐや姫。
 正直嘘みたいな話だと思ってしまうが、自分の名前の方が嘘みたいだから、信じるしかなかった。
 これか。これが今まで周りの人間が感じていた感覚なのだ。桃太郎などという名前を聞いて、すんなり受け入れられないのはごく普通のことだったのだ。
「私、中学の時いじめられてたんだ」
 私立に行った彼女のことは卒業以来知らなかった。知りたくもなかった。小学校のときいじめる側だった人間が、中学に行っていじめられていた。ざまあみろ。と言いたいところだが、気分は晴れない。なぜならその理由がきっと僕と同じだから。どこへ行っても、誰であっても、やはり同じなのだ。名前という、一番初めに知り得る情報はその人間を決定的に印象づける。
 気づくと僕は玄関の中にいた。聞きたくなかったのだ。自分と同じ境遇の人間の話など。
 彼女はまだ何か言いたげだったが、僕はやっぱり聞きたくなかった。

“桃太郎やらない?”
 久しぶりに来た彼女からの手紙には訳の分からないことが書かれていた。そしてもう一枚、なにやら企画書のようなものが入っていた。
 どう考えてもいじられている。僕たちを笑いものにしようとしているとしか思えないその企画。絶対に嫌だ、そう思った。
“このまま、一生名前のせいにして生きていくの?”
 いつになく長い手紙の最後には、一番言われたくないセリフが書かれていた。

 
 桃太郎と同じ目にあった。

1 2 3 4