小説

『桃太郎に生まれて』久保田彬穂(『桃太郎』)

 別にみんな悪気があった訳ではないと思う。珍しさに興奮していただけ。でもそれが、その純粋で嬉々とした目が、どんな辛辣な言葉よりも胸をえぐった。私は親の離婚によって精神が不安定になった、ということにして学校を休んだ。自由な学校だったから、卒業はなんとかできた。高校は、また誰も知り合いがいないところに行こう。そう思って、片道1時間半のところを選んだ。でも入学式の日、クラス分けの表には明らかに知っている名前があった。
「桃太郎」
 あいつのおかげで私の名前はかすんだ。誰もが桃太郎に注目していた。しかし桃太郎は学校へは来なかった。
自己紹介のとき、みんなやっと私の名前に気づいた。私はもう逃げない。桃太郎とは違う。
私はあえて竹取物語の冒頭部分を語り、「ネタ」にした。みんなは笑った。笑われたんじゃない、笑わせた。私の勝ちだ。私にできたのだから、桃太郎にもできるはず、そう思った。
 文化祭でやるクラス演劇。私はかぐや姫と桃太郎のラブストーリーをやろうと言った。
 いつまでも名前のせいにする桃太郎への苛立ちと、いじめてしまった後悔と、罪悪感と、元々ある、目立ちたい欲求と、色々あったと思う。
 でもこれは、桃太郎と私でなければ意味がない。

 
 それから毎日、書きかけの台本がポストに投函された。もう見慣れてしまったまっすぐな文字。高校生が初めて書く台本なんてひどいものだ。セリフは長いし、時間の流れはおかしいし、設定も曖昧。でも僕は、毎日それを読むのが楽しみになっていた。2週間後、約20分の台本が完成した。結局、桃太郎がかぐや姫のために必死に鬼退治をするけれど、その夜かぐや姫は月に帰ってしまう、という初めからわかりきっていたストーリーだった。
 最後の台本の端っこにはメッセージが書かれていた。
「来週から稽古開始!」
 そんなこと言われなくても、僕はもう一人稽古を始めている。

 僕たちの名前のおかげで話題性は抜群。客は毎回満員だ。
 入学式の日、鬼に見えたのはみんなただの人間だった。劇の中で僕に退治され、「桃太郎に退治された~」とはしゃぐ、ただの人間だ。むしろ4ヶ月も学校に行かず、ひとりで川を漂流していた僕を温かく迎えてくれた、優しいおじいさんとおばあさんだった。
 そう思えたのはきっと、輝夜のおかげだ。
 赤い髪のかぐや姫なんてダメだと、前日に輝夜は髪を染めた。黒髪の輝夜はなんだか新鮮で、それを喜ぶ男子もいたけれど、僕はやっぱり赤いほうがいいなと思った。
 高校生のつたなすぎる演劇にお客さんは寛容で、微笑ましく見てくれていた。
 母親のあんな顔は、久しぶりに見た気がする。
 輝夜の台本は粗削りだったけど、その突拍子もなさがウケた。真面目にラブストーリーを書いたつもりの輝夜は不満そうだったけれど、その様子がまた可笑しかった。
 でも、一番歓声が起こったのは、
「桃太郎役、桃太郎!」
 という、カーテンコールだった。

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