小説

『ひびわれたゆび』高野由宇(『炭坑節(福岡県民謡)』)

 玄関を開けると午前七時の寒さが吹き付けてきた。ブルと縮まる肩で鍵を閉めて、耳を凍らせてアパートから一〇分の距離にある駐車場に自転車を走らせる。まだ起きてないカーテンの窓をコンビニの方へ抜け、朝食のお味噌汁の匂いを横目に眺めて信号をぎりぎり突っ切る。近さよりも安さで選んだ面倒に、立扱ぎしながら鼻をすする。
 車に乗り込んですぐにボスからの着信が鳴る。
「はーい、おはよー」
「ごめんねー、これから工事現場だよねー?」
 ブルートゥースにしてシートベルトを締める。
「今車乗ったとこ、どしたのー?」
「サトちゃん今日夕方から戸建て廻れる?」
 あれ今日の宅配はライ君と久保田さん二人じゃなかったっけ、と思いつつ、これから三件廻る予定の工事現場のルートと時間を考える。
「えーっとねー」
 車を発進させる。一件目は埼玉で積んで千代田区に降ろす。大宮バイパスを目指す。
「十七時、んー、十八時近くになっちゃうかもしんないけど、大丈夫だよ、ぜんぜんいけるよ、どうしたの何かあったの?」
「いや実は久保田さん、今事故っちゃったらしくて」
「え」
 すでに渋滞し始めている大通りと赤信号と久保田さんの顔が頭の中で混ざる。
「タクシーにおかま掘って、後からおかま掘られて、つまり真ん中? だから後の扉開かないらしくて、だから俺二件廻って終わったら速攻でステーション行って午前指定の分捌いて行くから、サトちゃんも終わり次第合流して欲しいんだよね」
 三叉路に差し掛かって、話どころじゃなくなって、タクシーにおかま掘った後どうなったかは全部運転席の窓から流れ出ていったけど、
「わっかりました、じゃあとにかく終わり次第ライ君に連絡するねー」
「はーい、宜しくお願いしまーす」
「はーい了解でーす」
「はーいお願いしまーす」
「はーいありがとうございまーす」
 はーい、というボスの声を聞いてブルートゥースを外した。
 久保田さんまた事故か、と考えているとナビが左折しろと指示してくる。
 ライ君、二日前戸建て始めたばっかだからまだ慣れてないし大丈夫かな、と心配しているとナビが右折しろと指示してくる。

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