小説

『鬼男』高野由宇(『鬼娘(津軽民話)』)

 青い田圃の上を飛ぶように少年の自転車が走り抜けて行く。人の通らない帰り道の風を額に受けながら、少年は両手をハンドルから離して腕を広げる。
 途端にぐらついて、呆気なく転ぶ。
 蝉も振向くような音で見事に身体を地面に打ち付けた。
 そのまま畦道にごろりと身体を預け、青空を見ながら深い呼吸を繰り返す。青い空も入道雲も全部吸い尽くすように深く空気を吸い込んだら、腹の中の全部を叫ぶみたいに一気に吐き出す。
 首まで閉めていたシャツのボタンを幾つも弛めて、そしたら見えないように隠してた誰にも言えないことが流れていく。
 崩れそうな一日を、少年はこうして終わらせる。狭い町の上に広がる果てしない空に棄てて、今日も終わらせる。
 新しい痣と汚れた制服で変な音がする自転車を押して家まで歩いていると、学校では考えないようにしていた青年のことが、頭を埋め尽くしていく。
 少年が初めて青年の存在を知ったのは、高校生になった春だった。まだ制服は綺麗で、自転車は静かで、でも上手い転び方を知らなかったから今より傷だらけだった。
 痛む脚を引き摺りながら帰り道を歩いていると、五人の小学生がランドセルを鳴らしながら小走りに通り過ぎて行った。
 ほんとかよ、本当本当、と興奮を隠せない様子の子供たちはくすくすと笑っていた。ゲイなんてこの町に居るのかよ。
 少年は息を飲んで小学生を見つめた。
 大学生のいとこが言ってた、同じ中学だったんだけど、来なくなっちゃって、それからは工場で働いてるんだって。得意げな一人が今にも駆け出しそうに先頭を急いでいた。
 そのうしろを、少年は追った。
 人通りの少ない県道にぽつんとある硝子工場の門の前で、子供たちは背伸びをしたり、その背を押したりとはしゃぎながら中を窺っていた。
 鉄門から少し離れた工場は、開け放たれた鉄扉から炎の音と熱気が噴き出していた。汗が滴りそうな内部で、頭にタオルを巻いた数人の男たちが顔を真っ赤にして作業をしていた。
 子供は一人の男を指さした。あいつだよ、きっと。
 年老いた職人の側で、その作業を真剣に見つめる逞しい青年だった。
 暴れるような灼熱の炉に顔を焼かれながら、容赦ない熱風に眼を顰める青年の額から米神に汗が伝って、輪郭をなぞり、首筋を撫でた。
 その汗が胸元に染みていくのを、少年は見つめていた。

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