小説

『生と彼』和織(『死後』『彼』)

「では、今の奥さんが、君といたよりも不幸だと、どうして言えるんだい?」
「そんなの決まっているじゃないか。子供と引き離されていいようにされるなんて、あいつは犬や猫じゃないんだ。飼い慣らすような真似は―――」
「しかし少なくとも、あの男には奥さんと関わりたいという意志がある。Kにおいてはね、年中どこかの誰かと関わりたくてしょうがない」
「・・・・・」
「君自身、何があっても動じない人間になったというのは、大そうご立派だ。だがね、何を手に入れても、結局自分以外の人間は、自分のものにはならない。どんなに君が揺るがなくても、手の中には入れておけないし、ほころんでしまうときもある。それを受け入れる意志を持てないなら、誰からも離れてしまった方がいい。空っぽな体は、良くないことばかり産み落とすんだから」
「・・・・君はどうしてそんなに、わかったようなことばかり言うんだ?」
「決まってるじゃないか。僕と心中されるなんて、御免だからだよ」
 その言葉で、私は目覚めた。と同時に、彼の名を呟いた。そう、やはり私は、彼のことをよく知っている。彼は学生時代からの友人だった。十二年前に、病で死んだ。どんなに年月が過ぎても、ふとしたとき思い出してしまう、頭の中で会話をしてしまう、そういう存在だ。
「何を死んでるんだ・・・・」
 そう呟いて、ため息が出た。赤ん坊の泣き声が聞こえた。いつものことだ。そしていつも、私はそれをほおっておいた。私の子で、私のことだから、大丈夫だ。そう思っていたのだ。赤ん坊の顔すら見ずに、ただそう思っていた。
「あ、ごめんなさい。起こしちゃった」
 起きてきた私を見て、妻はそう言った。起こしたのは妻ではなく、赤ん坊だ。妻もまた、赤ん坊を自分のことだと思っている。しかし私とは違い、見て触れて感じて、その存在をいつも認識している。
「起こされたんじゃない。眠ってなかった」
 私は言った。
「眠れないの?お薬は?もうないの?」
「まだあるよ」
「少し飲んだら?」
 そうやって私を心配する妻の目の下には、クマがあった。今やっと、そのことに気づいた。最近は妻の顔をまともに見ていなかった。昔からよく笑う女で、顔を見なくても笑い声だけは聞こえていたけれど、こんなに疲れた顔で笑っていたなんて、全く想像しなかった。
「何か飲む?」
 私は言った。その言葉に妻は目を見開いた。何が起こっているのかわからない、という表情だった。
「暖かいもの、お茶でいいか?」
「ええ・・・ありがとう」
「飲んだら、部屋で一人で横になれよ。俺が見てるから」
 私はお茶の入った湯飲みを妻の前に置いて、妻の腕から赤ん坊を引き取った。私に抱かれても、赤ん坊は泣かなかった。ウトウトしていて、すぐに眠りについた。
「なんだ、寝たよ。てっきり泣かれるかと思った」
 拍子抜けして、私はそう言った。
「そりゃ、お父さんだから・・・」
 妻は言葉を続けようとしたけれど、何も思いつかないようだった。しばらく、私たちはお互い何も言わなかった。赤ん坊は小さかった。小さくて壊れそうだけれど、それでもちゃんと人間だった。
「ちょっとくらい大丈夫だよ」
 妻を寝かせる為に、私は言った。
「うん、じゃあ・・・ちょっと横になってこようかな」

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